Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

新緑の宮城県北沿岸へ ⑦ 旧北上町、大川小学校の対岸の参事

2012-05-15 22:38:51 | Travel
大川小学校近くの北上大橋を渡って対岸の旧北上町へ。


ほんとに大きな川です、北上川。
まあ河口近いですからね。

ちなみに、
北上川は東北最長、全国でも4番目の長さで、
岩手県の北部から発し、
宮城県の登米市と石巻市の境目ぐらいで旧北上川と北上川(追波川)に分かれ、
旧北上川は真っ直ぐ南下して石巻の市街地を通り石巻湾へ注ぎ、
追波川は東に進路を取ってこの旧河北町と旧北上町の間を流れて追波湾に注ぎます。
旧北上川は洪水が多かったため、
1911~1934年の23年をかけて分流工事が行われたのだそうです。



北上大橋と、北上川のヨシ原。
対岸には大川小学校も見えますね。

北上川下流、特にこの旧北上町側には、
日本有数の広大なヨシ原があり、十数キロも続いていました。

ヨシは茅葺屋根の原料。
茅葺き屋根はススキやヨシ、ササなどの草からできていますが、
それが屋根の材料になると「茅」と呼ばれるのだそうです。

ちなみに震災前のヨシ原の参考画像。


幻想的ですね!

こんなヨシ原も、津波でスカスカな感じになっちゃったのです。
これを再生させるためのプロジェクトもあり、
ボランティアなんかも募集されています。



日本の伝統文化のためにも、再生するといいですね。

さらに下流へ。


北上地区・・・。
この辺りも片付いてはいるものの復興という意味ではまだまだ手つかずですね・・・。



吉浜小学校。

この小学校もホントに川沿いにあります。
しかも河口からたった数百メートル上流、もうほとんど河口ってところにあります。
大川小学校のニュースはよく見ますが、
多分この吉浜小学校のことはあまり知られていません。

吉浜小学校もすぐ裏に山があり、
津波を想定した避難訓練では子どもの足で5分ほどのその山に逃げるよういつも練習していました。


吉浜小学校のすぐ道路を挟んで向かい側(川寄り)には石巻市役所の北上支所がありました。
(1か月ほど前に解体されて無くなっていました)
支所は災害時の避難所に指定されていました。
小学校が3階建てなのに対して支所は木造鉄骨の2階建て。
低いのに指定避難所だったんです。

津波は小学校の3階まできました。

津波当時、
放課後だった吉浜小学校に残っていた児童6人と教職員は校舎屋上に逃げてなんとか助かりましたが、
避難所である支所にいたと思われる児童7人は死亡・行方不明となったそうです。
支所ではこれらの児童や一般市民、支所職員を含めて57人中54人が死亡・行方不明となっています。

学校の先生たちは
「授業中に地震が起こったら裏山に避難誘導していただろう。
 放課後だったから支所にいる児童については確認が取れなかった」と。

他の町でも低い場所にある避難所に逃げて津波にのまれている人がたくさんいますよね。
大川小学校だって避難所になっていたんですから。

この事実を決して忘れてはいけません。

ちなみに津波直後の北上支所や吉浜小学校付近の様子の動画はこちら


動画で津波直後の道路の状況を見ると、
このピカピカの道路がなんだか虚しく感じてしまう。

道路が通って電柱が立ってライフラインが復旧して・・・
とても大事なことなんですが、
そのあとが続いていない、いつか続きが始まるのかどうかも分からない・・・
それがなんとも・・・。


そしてすぐに北上川の河口です。





川は右から左に流れているはずなのに、
海からの波がそれに逆らって動いている・・・・。
何とも不思議な光景。


さて、
もう夕方4時を回りました。
仙台に戻りましょう。
北上川に沿って上流方向へ。





途中、道の駅「上品の郷」にて休憩して、


三陸自動車道(高速道路)でびゅーんと仙台へ。

つづく。


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