羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

音もなく、黄昏に、、、。

2012年07月20日 | Weblog
先日ひとり文学散歩で行った鎌倉文学館で特集していた作家たちが
まったく不勉強なわたしにとって新発見だった。
さっそく藤沢周の文庫をブックオフで購入した。

本を読む余裕ができたと思う。

ある日、手帳を取り出したときにハラリとしおりが落ちた。
それはあの時鎌倉文学館でもらったしおり。
(企画展は藤沢周、大道珠貴、柳美里、城戸朱理の四人だった)

その栞は城戸朱理の詩の一節だった。
「都電の幽霊が走っていた。
音もなく 黄昏にまぎれていった」

藤沢周、大道珠貴の作品と城戸朱理詩集を買うつもりだったが、
その「ハラリと落ちた」しおりを読んだ友人が先に詩集を買って
一読後に「プレゼント」と手渡してくれた。
詩集、、、、詩集を読むのはほんとうに久しぶりだった。

名前しか知らなかった詩人。
あたらしくわたしのなかにとりこまれる「詩のことばたち」
詩として生まれた言葉たちの苦しいような歓喜。
詩的感覚がすこし甦りすこし戸惑いすこし震えた。

そんなある日。
アマゾン委託サービスから何度もきていたメールをちゃんと読み返した。
わたしはアマゾンに「巡り合う小舟たち」というweb古書店と
「すみれ舎」という委託サービスでじぶんのたった一冊の詩集を
出している。
その「もう帰るところはありません」を補充するように、というメールだった。
ということはどなたかが購入して在庫がなくなった、ということだ。

有り難い。顔の見えない購入者さんに「ありがとうございます」と
直接申し上げたいくらい。

すみれこの詩がまた読みたい、と友人が言ってくれた。
こちらもすごく有り難い。

音もなく、黄昏にまぎれていって胸の中にだけ残るような詩を
わたしも書いてみたい。