羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

記憶の引き出し

2012年07月24日 | Weblog
「ここはどこなんだろう」「どうして自分はここにいるんだろう」と
母はくり返しくり返し何度も考えたに違いない。
わたしにも聞く。孫にも聞く。息子にも聞く。自問する。
認知症状がたどっていく過程や症例を岩波新書で読むと本人のつらさが
あらためてよくわかる。
あらためて良くわかるというより、今までは目前の事に日々追われ
あらためて考えたり母の心情をじっくり思いやったことは少なかった。

先日「大人用紙パンツ」についての商品感想会みたいのがあって、
親の介護経験者が五人ばかり集まったが、
「トイレを詰まらせたことがある」「パッドと下着を洗濯しちゃった事がある」と
みんな同じような困った出来事を体験していて
「うん、うん」とうなずきながら皆「どこもタイヘンなんだわ」という感じだった。

タイヘンなことはたくさんあった。
でも母は消えていく記憶を一生懸命にメモをするひとだった。
12月の入院中もテイッシュの箱にまで何かしら書いていた。
でも先月の入院ではまったくなにもしなくなった。
テレビも見ず、ただただベッドにいた。
ホームに入所したときわたしは母がまた何か書いてくれることを願って、
弱い筆力でも書けるペンと猫のイラストがあるメモ帳を
ベッドサイドテーブルに置いておいた。

ホームのスタッフ皆さんのおかげで寝たきりだった母が車椅子に移乗できるように
なり、とうとう先日は手すりにつかまって歩けるようになった。
おやつのアンパン作りにも参加していた。
焼きたてのアンパンをわたしも頂いた。とっても美味しかった。

そしてようやくまたメモを書くようになってくれた。
一ヶ月以上の空白のあと、またすこしずつ感じた事や出来事を
その記憶をじぶんでとどめるために、書き始めた。
ちょっと見せてもらった。



ここにはホームでの暮らしへの不満はカケラもない。
「今おひるの食事おいしく
みなさんといただきました
ありがとうございます
これからもどうぞよろしくネ
お元気で ガンバってください
おなかポンポコリ」

ここでの暮らしを精一杯受け入れようとしている母の様子がこのメモに表れている。
内向的な母がここに馴染もうとして記憶の引き出しにメモを入れながら
「ポンポコリ」というお茶目も見せていることに
安堵と切なさを感じた日だった。