羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

介護の日々

2011年05月20日 | Weblog
かならず誰かが傍にいて目を配る日々を過ぎて、
母は昼間なら一人でも大丈夫なようになった。


相変わらず入浴や洗髪は乗り気ではない。
さわやかな五月の朝、「お母さん、そこの美容院に行こうか?」と
声をかけてみた。何度もかけた言葉、気のない返答。
その日も声だけかけて二階で新聞を広げていたら、
母がゆっくりと階段を上がってくる。そして「何時頃行くの?」と、
すっかり身支度を整えて口紅さえ薄くつけていたので、
部屋着で朝食の皿もそのままに寛いでいたわたしは大慌て。
母の気が変わらないうちにと急いで顔を洗って着替えて、
一緒に外に出た。外を歩くのは何日ぶりか、シャンプーは何日ぶりか、
髪を切るのは何ヶ月ぶりか、、、、。

帰り道、母はすっかりご機嫌で「ああ、さっぱりした」と何度も呟いていた。


その数日後、用事があって家を空けることになり、
夜にわたしが不在なのは初めてなので兄が来てくれるという。
兄はいつもいつもわたしと母を助けてくれるので、有難い。
が、しかし、母をドライブに連れて行って伊豆に一泊するというので、
にわかに心配になった。
わたしは紙袋に母のお泊りセットを作った。
「パッド(昼と夜)、下着、ソックス、化粧品、、万が一のための介護用品など」

当日は「帰りたいと言っていないか、下着を濡らして困っていないか」と、
まるでじぶんが母親になったようで内心苦笑いしつつ、
兄からのメールで「万事オーケー」と知りひと安心。

無事に帰宅して「船に乗った」と何度も嬉しそうに話してくれた。

そして昨日、また母がゆっくりと階段を上ってきた。
「どうしたの?」と聞くと「これ」と手の中にわたしが書いた「お泊りセット」の
説明書きがある。「これね、旅館で見つけて涙がでそうになったの」という。
「こんなヘンな親なのになんていい子なんだろうって」、、、、。

正直なところ、ものすごくビックリした。
母はおとなしいひとだけれど強気で、泣いたところなど見たことがない。
テレビを見ては泣き、ケンカしては泣き、駿がいなくなった時も号泣したわたしとは
大違いだ。

母も弱気になった、あらためて当たり前の事を思い、感謝の言葉を面と向かって
かけられたので「そう、良かったわ」と照れ笑いしながらも、
洗濯物を取り込みながらベランダで泣いた。

介護をしていて「もうイヤだ」と思ったことは何度もある。
病気だとわかっているのにやさしくできなくて後悔することも度々ある。
置いておいた食べ物をどんどん食べちゃっても、
わけのわからないことをくり返し言われても、まだまだタイヘンなのは、
これからだと思う。
母が言ってくれた言葉をいつも思い出しながら向き合っていこうと思った。