羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

遠くにいる(2)

2010年07月15日 | Weblog
今日、仕事からの帰り道、意識してよそのお宅の屋根を見てみた。
これまで空ばかり見ていたけれど、
アンテナは実にシッカリと確定的にどこの家の屋根にも立っている。
行儀よく姿勢をただし任務に忠実だ。
電線もこんなに多かったのか。
歩きながら納得し、鳥の形に見える「何か」にも気がついた。
つまりあの日、遠くに鳥はいた。雨に濡れてアンテナにとまり、
小さく動いてもいた。
そして去っていった。
雨の日の「すり替え作戦」みたいに見分けがつかなくなったわけだ。

「遠くにいる」か「いないかもしれない」は楽しかった。

いま、松下育男さんと高階杞一さんというお二人の詩人の『共詩』を
公開なのでリアルタイムで読ませていただいている。
遠くにいても言葉が届く。
遠くにいるのもわるくない。
共詩や、連詩、という作業も興味深い。
わたしにも遠くにいて、思い出したように言葉を交わすひとがいる。
鳥か鳥ではないかと愉しむのに似ている。
見方や意識によって変わるものだから、
言葉もまたそれぞれ自在に変化していく。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿