羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

86歳の一票

2012年12月16日 | Weblog
先日ホームで母とのんびりしていたら窓の外を選挙カーが通った。
「あ~、選挙もうすぐなんだよねえ」とひとり言を呟いたら
母が「うん、そうだよ」とすぐに反応したので「選挙、行く?」と
聞いてみたら「当たり前じゃない、ぜったい行くわよ、選挙だもん」との返事。

ここの小さなグループホームには不在投票の箱も来ないしスタッフが連れて行ってくれる事は
もちろんない。

母はこの頃またいろんなことを書いていてニュースには敏感だ。
「笹子トンネル、事故。山荘に行く時にとおる」というメモを読んだときには
ビックリ仰天した。
兄の八ヶ岳山荘の記憶とドライブの思い出がシッカリと残って結びついていた。

この話を家人にしたら「じゃ、日曜は夕方ホームに寄ってから投票に行こう」と言ってくれた。
ホームに行って「選挙、行く?」と確認して出発した。
ホームにはいま「帰りたい帰りたい」おばあさんが入居して大声でほぼ怒っている(嘆いている)
そのおばあさんは母がなだめると言うことを聞いてくれるらしいので、
スタッフは母を「級長さん」と呼んでいた。
静かなときは静かである。
でもわたしが行くと外部からの気配を思い出してまた興奮させてしまうようなので
なるべくひっそりと行く。
ところが今日はわたしと家人が母を迎えにきたことに気がついてドアの近くで
がんばっていた。
スタッフの配慮で別ルートから出入りした。

車椅子で投票した。すごいな~、ちゃんと理解して意思表示して書ける。
「アルツハイマー」という診断書はもう返上してもいいんじゃないか?
いや、しかしやはり分らないときや混同する事柄はたくさんある。
わたしが母の症状を受け入れてところどころ理解し始めているのかもしれない。

三鷹駅のイルミネーションを見物してホームに戻った。
おばあさんたちは静かに夕食を始めていた。

2012年12月16日 | Weblog
灰皿町」に雪が降っていた。雪だ、わーいと喜んでばかりもいられない。
今年も「灰皿町アンソロジー」の季節がやってきた。
詩の先輩たちがどんどん詩を掲載している。

灰皿町にせっせと通っていたことがある。
そのときウェブ上でわたしのかえるところはこのgooでもなくmixiでもなく
ただひっそりとその町だけだった。
待っていてくれる、と勝手に思える場所があるのはいいものだ。
ちいさな家があり「すみれこ」と表札がでているのはありがたい。

詩という表現と向き合う12月。
わたしにとって「書く」ということをまた考えるこの季節。