まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

市民スポーツ大会

2024-06-01 | 弓道
朝から庭いじりをして、ついでにnanaの朝顔の種を今年も植えた。
小学1年の時の朝顔の種を数粒もらって増やした。
とはいえ、前庭には植えられないので、狭い日当たりの悪い場所に隣の家に向かって懸命に咲く。ついでに、オーガスタも処分した。
夕ご飯を終えて、休む間もなく道着と袴に着替えてすぐ山中に向かう。
20時開始。
市民スポーツ大会は、市民体育大会として日曜に行われていたが、6月初めは河川愛護や町内の草刈とかに重なって土曜の夜にすることになって久しい。
ついでに言うなら、日本体育協会が、日本スポーツ協会と名を変えてから、すべて替えられた。県民体育大会は県民スポーツ大会、県体協は県スポ協という。市の体育課も、スポーツ課となったし、日本体育大学は関係ないと思うが、もし変わって略したら、日スポ大かい?体育という呼び名が昭和だからか?

ここのところ稽古での中りは悪い。
角見だ、肘だ、弽溝にはまっていないのか大三でカチッと音がする。などと、悪い時はあれこれ考える。しかし、その時こそ辛抱!!
とはいえ、良い方向へもっていこうとあがきながら深みにはまるのである。
最後には、稽古で使っている矢の重心が合わないのかな。
下ばかり行くし、いや頬付けがあまいのか。と、身体のせいか、弓具のせいかと考える。どちらも大事なのではあるが、たいてい身体の方が悪いことが多い。しかし、その微妙な違いが自分では深みにはまると分からなくなる。

とにかく、のびのびと引くに限る。胸弦をつけて大きく引くことに心がけるが、中らない。暗いので矢がどこへ行っているのか分からない。
山中での夜の月例会の時も的に中ればどこにあるかがぼんやり分かるのだが、 黒っぽい安土に外れると、上なのか下なのか。
この頃、下に外れていたので下なのだろうと思って引いていて皆それした。
矢をあげにいくと、何と的の上のふちに綺麗に4本、それも的に沿って弧を描いて遠慮がちに刺さっている。
感触は悪くないとでた。これが全部下だと気落ちする。
2回目、気を取り直して引く。
何の作為もなく、策を弄したところで良くならないことは筆致だ
1本目、ガチッとたたいた音。どちらにしても、大きく外れていない。
2本目、やっと中る。若い時と変わらない中て気の射になる。
3本目は早くてやばいが中る。4本目は迷いなく離した。
しかし、皆中の拍手はない。1本目がたたきっぽいからだ。
矢をあげにいくと、皆中だった。
皆中の後の皆それは嫌だけど、皆それの後の皆中はほっとする。
でも、1回戦の皆それは痛い。結果、12射6中で半矢がやっと。
射は会心の出来には程遠い。
会心という言葉の意味が、まさしく弓道の会と通じる気がした。

1位は高校生だった。
納射をしたことがないというので、廊下で教えると姿勢も良いし、飲み込みも良いし、最後に綺麗な大きな離れの中りで締めた。
緊張が伝わり会心の出来だ。




草むしり

2024-06-01 | 暮らし
初夏にはたくさんの花が咲く。
花が咲くということは、草も伸びるということで、休みの日は草むしりに追われる。


苔に生えた草は、1本ずつ丁寧に抜かなくてはいけない。
腰に定点カメラでもつけたいくらいだ。
抜いている先から、また生えているのではないかと疑いたくなるくらい、振り返るとまた見つけては抜く状態。
咲き終わった花の始末をしていたら、袋に一杯になった。


サボテンの花が咲いていた。
黙々と庭いじりしていると、美しいものに出会うが、時間は矢のように過ぎてしまう。
普段から、矢を飛ばして遊んでいるので、全くもったいない時間を使って生きていると思える。
しかし、その事が生きる支えにもなっている気もする。
草がせっせと生えるのも、仕事を天が与えてくれているのかもしれない。