Straphangers’ Room2022

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勝手判断に拠る正当化

2020-12-23 21:19:00 | 時事
医療関係者の警鐘に対して反発する向きもあるわけですが、結局は医療関係者も含めた国民一人一人の自覚ということは間違いありません。医療関係者にしても疲弊する一方で軽率に会食に出席して感染するというケースもあるわけですから。

その意味では自発的な対応を前提にして、たまさかうまくいった「第一波」を自賛して「日本スゴイ」というのが常にそうであればよかったんですが、「第二波」以降は不適切、軽率な行動で収束どころか拡大の一途をたどる結果になっています。

一定の強制力が担保されている国でもそこは悩ましいところで、結局は最初から包括的、全面的な規制を敷く中国型でもない限り即効性は無いわけです。さすがにそこまでできない、というのが民主主義、自由主義国家ですが、だったら一定の「守れない」人が発生する前提で規制の手を打つというタイのような手法があるわけです。

日本の不可思議なところは移動と飲食が原因と専門家がほぼ結論付けていながらなお規制できないところであり、それどころか移動と飲食を促進する政策を進めていたわけです。これでは真逆であり、収束どころか拡散の一途というのは必然です。

さらに悩ましいのは専門家の指摘であっても無視する、否定する、勝手解釈で自分は大丈夫と思い込む、という「素人判断」の横行です。昨今の報道への不信がその傾向に拍車をかけていることは否めないわけで、「マスコミが悪い」と言えば何でも通るという風潮が否定できないなか、感染者数の報道などは「煽っているだけ」「実際には大したことがない」という一種の「逃避」とその正当化という最悪のコラボで「素人判断」になっています。

さらに「見られ」を理解できない人も少なくなく、「勝手判断」で「私は大丈夫」というのが客観性を持つと勘違いしているわけです。検査は不要、無意味、という信念はご自由に、ですが、日本以外では検査結果がまずありき、という国が大半です。自分の、そして日本国民の証明が出来ない状態で「大丈夫」と言っても誰も信じないわけで、「標準」に弱い日本人のマイナスが最悪の時期に顕在化しています。

こうした勢力に共通するのが「マスコミガー」「マスゴミ」といったメディア批判ですが、その安住を得るために都合のいい意見を援用、というかつまみ食いする傾向にあります。「マスコミガー」という理由付けに、重症者や死者は少ないんだから、というのは定番ですが、無症状者は患者に非ず、という主張を援用しているわけです。しかし感染力という意味では症状が重篤になるのと比例することはなく、それどころか無症状の末期から発症直後が最大という確立したデータがあるわけで、無症状が多い、というのは感染力が多い患者が捕捉されているという極めてリスキーな事態を示しているという評価に背を向けているわけです。

重症者や死者の数が大事、といいながら、じゃあ東京都が厚労省の基準よりも狭く重症者の範囲を捉えているのは無視しているわけです。人工呼吸器やECMO装着という生死の境を彷徨うレベルにならないと「重症者」にならない基準で「少ない」という判断がどれだけおかしいか。そのくせ他国(特に中国や韓国)の発表数はおかしい、とハナから疑ってかかるわけで、死者という一番誤魔化しにくい数字(一時大量に発生する事故と違い、同時多発的なので隠蔽するのは難しい)の採否を都合よく使い分けています。

そして先般和歌山県が厳しいデータを発表した後遺症の問題。軽症者も含めて半分近くが何らかの後遺症を訴えているわけですが、これも信じたくない人からすると「気持ちの問題」と否定する人が少なからずいるわけです。こんな人が上司だと「倦怠感?甘えたこと言ってるんじゃない」と散々な目に遭いかねませんが、現実は後遺症を事実上否定する傾向が見て取れるわけで、これも都合よく勝手判断していくうえでの必須の作業なんでしょう。

それでも感染収束を目指して対応をする、というのであればまだしも、これが「だから自粛(規制)する必要はない」と自分の「お楽しみ」を正当化する方向に動くからタチが悪いのです。
これに「経済ガー」を加えると盤石の理由付けであり、原因とされる行動を控えるどころか積極的に実施していて感染拡大が止まらないわけがありません。

法令上強制が出来ない、あくまで「自主性」「自発」に任せている、という状況はまさに性善説の世界ですが、第一波の時は性善説を信じてよかった、という結果になりましたが、その後は性善説の欠点が顕在化している格好です。

じゃあどうすればいいのか。限界的な事例になりますが規制に踏み込んでも欧米のような権利を振りかざした抗議、反対活動にまでは至らないでしょうが、まずその強制力を持った規制の成立が困難です。立法府たる国会の意見はまとまらないでしょう。もちろん時間もかかります。

そうなると打つ手なし、八方塞がりなんですが、一つだけ手段はあります。
これを私が推奨するのは本当に嫌だし、第一波の頃はこうした行動を口を極めて批判していたのですが、足元の状況ではそれしかないというしかないのです。

そう、「自粛警察」です。最後の手段は。
同調圧力が強く、それに弱い国民性に付け込んだ手段が最後の拠り所という最低の選択ですが、そうでもない限り勝手判断の連中を減らせないでしょう。それでもの確信犯は排除できませんが、確実に数は減りますから効果は出てくるはずです。


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