Straphangers’ Room2022

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ルールそのものの問題

2024-08-14 18:04:48 | ノンジャンル
パリ五輪が終了しました。感動をありがとう、と最後の最後まで盛り上げようと必死な向きはありますが、南海トラフの問題、台風5号の直撃など自然災害には勝てないわけで、あらゆる話題隠しも実らなかった格好です。しかも空気が読めないというか、閉幕したからいいだろうという感じで首相が再選出馬せずと表明したことで、余韻も何もあったもんじゃない状態です。


さて今回の五輪は「パリ判定」とも言われるように判定に問題が多発しましたが、解釈の違い、また日本流との違いという面が多分にあるわけで、これもまた「情報収集の不備」として分類されるべき事項ともいえます。海外での国際大会でどのような判定、採点になっているのか。それが分かっていないで批判しても仕方がありません。あるいは柔道での「待て」の問題も、批判のムーブメントのあと国内の強豪選手から「でも落ちたんだから仕方がない」と言われたわけで、このあたりは日本基準と国際基準を使い分けていないか、という問題にもなりますよね。


まあそれは判定の問題だから議論の余地がありますが、さすがにこれはどうか、という局面があったわけです。
スポーツクライミングでの日本選手が「スタートポイント」に立てなかった問題、これはさすがにおかしいという声が続出しました。身長+跳躍力でしか到達できないポイントの設定は、要は一定の身長が無いとクリアできないわけで、格闘技などに導入されている重量制のように、身長別クラス制にしないと公平性が担保できません。道中でも明らかに手足が長い選手はすいすいとクリアしていましたからね。


こうした批判が起きると運営は悪くない、協会は悪くないという擁護論が出てきます。メディアも逆張りというか予防線というか、擁護論の主を「レジェンドが」「元メダリストが」と言って権威付けするのが常ですが、じゃあ「権威」が白と言えば黒いカラスも白くなるのか。権威を持ち出すところにロクな話はありません。
スポーツクライミングの場合は確かにレジェンドの発言ですが、ズレてましたね。スタートに立てないという競技の大前提が成立しない問題なのに、道中では後進長も不利になるとか関係ありません。高身長すぎるとスタートに立てない、という設計があるのかどうか。この一点でもおかしな話です。ちなみに体操の鉄棒では補助者がリフティングして鉄棒に取り付きますが、日本選手だけ補助者不可、とされて何回飛びついても取り付けない、という結果に終わったようなものです。

あとは女子マラソンの「補欠」の問題。これは競技のルールというより競技団体という内輪のルールの問題ですが、五輪のルールでは前日までの差し替えが可能なのに選手団が渡仏するはるか前に補欠指定を解除してしまっていて変わりがいなかったという件。これも「権威」が擁護していますが、それがおかしいという批判ですから嚙み合うはずもありません。

五輪で言うところの「補欠」は用意していません、というのが実際のところで、選手団として派遣する前の段階での差し替えしか用意していないわけです。まあそうであれば仕方がない、という人もいるでしょうが、貴重な出場枠を1つ無駄にするわけです。しかも五輪で言うところの意味合いと全く違う「補欠」を用意して誤解を招きまくってです。

部員数が極小化している野球部の県大会出場じゃないんですから、用意できる枠を使っていると誰もが思っています。陸上でも箱根駅伝なんかで補欠選手が当日エントリーで出走、というのを多くの人が見ているわけです。「補欠」と言えばそういうもの、というのが一般常識ですから。
しかし五輪に関しては実業団の参戦スケジュールに配慮して早いタイミングで解除して次のレースに備えさせる、ということに関係者誰もが疑わないわけです。じゃあ前日まで変更できるのに「欠員」で本番に臨むのか。五輪に出るのであれば、競技として全力を尽くす、というのが競技団体に課せられた義務でしょう。でなければ選手とコーチ以外の派遣は無意味です。あたら枠を無駄にすることが正しいのか。まずそこから考え直すべきでしょう。

このあたりは図らずも「業界」と「世間常識」のずれが顕在化したわけですが、強化費からスポンサーの支出まで、税金を筆頭に「業界」外部の「カネ」が絡む話と考えたら、それで業界の論理で納めていい話なのかも考えるべきでしょうね。



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