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木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

情緒的なNHKのニュース報道姿勢

2008年06月10日 | Weblog

秋葉原通り魔殺人。
7人もの人が犠牲になり、10人が傷を負う。
この犯人の「負のエネルギー」は何なのだろう。
秋葉原という大都会のど真ん中の、人が最も行き交う街で、犯人の青年は自分を爆発させた。
「都会の疎外」ということを思った。
大都市の華やかな賑わいの中で、人々が行き交う。だけど、その中で、誰も自分を知らず、誰も自分に関心を持つ者もなく、注意を払わない。
仕事場でも同僚に無視され、上司には怒鳴られる。特に今は、派遣とかフリーターとか、人間性を無視される職場環境で働く若者も多い。
地方から出てきた者にとって、「都会の風」が冷たいのは昔も今も変わらないが、今はその冷たさに、さらに強さが加わっている。
犯人は、青森出身で、静岡で自動車関係の職場で派遣労働者として働いていたそうだが、「疎外」されているという状況は、大都市でも地方都市でも変わらないだろう。
私は村の中に住んでいて、生まれた村なので、年を取っても「○○ちゃん」と呼ばれている。つまりみんなが知り合いなのだ。
そういう場所では、とんでもない悪いことはできにくい。自堕落な生活に落ちることを食い止めているし、「疎外」されているという感情にはなりにくい。
そうは言っても、閉鎖的村社会では、時に被害者意識を拡大させて、親族や知り合いを攻撃して、大量殺人という事件は昔からある。
だから大量殺人行為には、村型の知り合い殺人と都市型の無差別殺人があると言える。
ところで、この事件に関するNHKの報道には「ちょっと」と首をかしげたくなった。
最近、NHKの午後7時のニュース報道はほんとにおかしい。
犠牲になった人の個人的エピソードをことさらに取り上げて流すのだ。
その人が、明るくがんばりやで、いかにみんなに好かれていたか、というような・・・。
では、皆に好かれてもいず、大して能力もなく、関心も払われていなかったような、そう、ちょうど秋葉原事件の犯人のような人の場合どう報道するのだろうか。
でもどうやら、視聴者の耳に心地のいいようなエピソードの持ち主を選んで取り上げているようだ。
ニュース報道の中で、情緒を刺激するような報道のしかたには疑問。
そして今回の事件のような、みんなが休日を楽しんでいるところに、いきなり闖入してきた犯人によって、犠牲なった場合「ほんとにひどいこと、あってはならないこと」としながら、では空爆によって、犠牲になるイラクの市民に対して、「あってはならないこと」と、そういう報道をしているだろうか。



アスベスト被害の犠牲者の多くは「最底辺」で生きた人々。
アスベスト(石綿)による健康被害は、最近、多くの人々の知るところとなったが、いわゆる「石綿産業」は、戦前から大阪泉南地方のいわば「地場産業」だった。
石綿と綿を混織する作業場はもうもうと埃がたちこめ、誰もが「体に悪い」と感じる職場環境だった。
石綿は安く、耐火性、断熱性にすぐれ、建材、自動車のブレーキ、ベビーパウダーなど用途は3,000もあるという。
泉南地方の石綿産業は、戦前は戦争遂行のため、戦後は高度経済成長の中で、健康に悪いがゆえに、「最底辺」に位置づけられた人々によってになわれてきた。すなわち、在日韓国、朝鮮人、被差別の人々、そして炭鉱閉山で職場を失った炭鉱離職者達だ。
零細工場では、換気扇も集塵機もなく、マスクは、付けていると息苦しく、、付けずに仕事をする人も多く、肺の病でおびただしい数の人が死んでいった。
05年、泉南の石綿工場はすべて廃業。明治以来100年の石綿産業の幕は閉じられた。(「週刊金曜日」5月30日号より)。
私の中学の同級生に、石綿工場の経営者の娘さんがいた。
「社長の娘」ということで、裕福な生活だったようだけど、その後、この工場も「石綿被害」ということで、従業員に訴えられ、廃業し、その後和解したと記憶している。
尼崎の「クボタ」工場による被害が大きく報じられる、随分前の話だ。



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