木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

少女たちの絵日誌で考える戦時心理

2014年08月26日 | Weblog

「少女たちの戦争」(NHKスペシャル)
昭和19年、大津市瀬田の小学校5年女組の少女たちが描いた197枚の絵日誌。
担任の女教師の提案で始まった絵日誌。「ありのまま、思ったままを書こう」と、教師は言い、7人の委員が選ばれ、毎日放課後、生徒たちだけで相談し、絵を描き、文を付けた。担任は内容について一切口出ししなかった。
戦後、この女教師は「軍国主義一色で染められていくような生活の中に何か文化的なもの、芸術に通じるような感性を生徒に持たせたくて、この絵日誌を提案した」と言っている。
戦争末期のことであるから、「誰それのお父さんやお兄さんの出征を見送った」というような絵日誌もあるが、多くは日々の生活や季節の移り変わりなどに目を向けた、それこそ子供らしい中にも成長を感じさせる絵日誌になっている。
ところが、昭和20年に入ると、田舎町の瀬田にも米軍機が飛来するようになり、隣町に爆弾が投下され被害が出るようになると、少女たちの描く絵日誌も変わっていった。
戦況の不利をかえって戦闘的言葉で打ち払うようになる。B29の機体を大きく黒く描き「憎らしいB29、今に見ていろこの戦」と文が付けられるようになった。
それまで、自由に彼女たちに任せていた担任だったが、これを見て「絵日誌はこれでおしまいにしましょう」と言った。
委員になっていた少女たちの中にはそれを聞いてホッとした者もいた。「これ以上続けたらとことん過激な日誌になっていったと思う」と70年の歳月を経て回想している。
私は絵日誌を始めようと提案し、生徒たちに自由に書かせ、それが空疎な負け犬の遠吠えに堕ちていった時「これでおしまいにしましょう」とだけ言ったこの担任の先生は実に優れた教師だと思った。
それと同時に戦況が不利になっていくにつれて、根拠のない楽観や憎悪で冷静な判断を失っていくものなのだと、それがこんな少女たちさえもとらえてしまうものなのだと、その恐ろしさを感じた。「戦争は人を狂わせる」。

「昭和天皇実録」完成。
これは87年余りの昭和天皇の生涯を記録したもの。宮内庁が24年をかけて編纂し、9月中旬に公表するという。
新聞の解説によれば、軍部台頭への対応や太平洋戦争の開戦、終戦の御前会議、GHQのマッカーサー元帥との会見など戦前から戦後の占領期かけて、昭和天皇が時代の流れにどう関わった、昭和史を新たに解明する史料が提示されているかどうかが注目される。
とあるが、それはさほど期待できないのではないか。
それより敗戦後、昭和天皇が天皇制を守るために沖縄を犠牲にする挙に出たことは米国立公文書館に残されている史料等からも明らかになっている。
今日、侵略戦争を否定する歴史修正主義者が世の表で大きな顔をしている原因の多くは「天皇の戦争責任をあいまいにしたまま」であることにある、と思うので、現天皇には「日本国憲法を尊重し、平和の世を望む」というのであれば、父昭和天皇の戦争への罪を謝罪してもらうのが一番ではないかと思う。

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