木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

子供じみた言い訳

2007年06月28日 | Weblog

「従軍慰安婦」と「沖縄戦集団自決」、このアジア太平洋戦争における歴史的事実をめぐる今日の状況は同根。
事実を考える時、全体状況と個別状況というのがある。
全体状況で言えば、戦争という状況と軍の存在というものによって、この二つの事実は明らかに存在した。
「従軍慰安婦」は軍が必要とした。沖縄の集団自決で言えば、沖縄での地上戦がなければ、起こらなかったし、「日本軍が、駐屯しなかった村では、集団自決は起こっていない」と、沖縄の証言者は語っている。
「慰安所を作る」、「慰安婦を集める」というようなことは、影で暗黙のうちにやるような事柄で、公文書にして残すようなことではないでしょう。たとえそのような文書が存在したとしても、敗戦によって、真っ先に処分されたと考えるのが自然だ。
沖縄戦では、駐屯した日本軍も敗色は充分承知していたであろうし、「最後の最後まで戦う」などと、考えていた者はいなかったのでは。
捨石にされた、という意識のほうが強かったはずで、日本軍兵士の気持はすさんでいたと想像する。
しかし、戦況がよくないからこそ、虚勢を張って、沖縄住民には「アメリカの捕虜にはなるな」と、集団自決に追いやった。
「手りゅう弾が配られた」という住民の証言は、軍の強制を示す何よりの証拠。
個別の意味で軍の強制はなかったと言いたい人たちは、軍隊というものが国民を守るためにあるのではなく、また軍隊を維持するためには、兵士の慰めのために「慰安所」が必要なのだと、知ってしまわれると困るからなのでしょう。
特に青少年に。教科書に載っていれば、軍隊というものはそういうものなのか、と理解されてしまう。
国のために戦うことは雄雄しく、美しいことのはずなのに。
文書がない、守備隊長が直に自決命令したわけではない、この瑣末な事象に飛びつくのは子供じみている。
子供は何か過ちを犯したとき、その中の一部を他の子供になすりつけたり、誰々もやった、と言うことで、自分の罪がなかったことにできる、ないしは軽くなると考えて必死に言い訳する。
安倍首相はじめ、一部のアナクロ国会議員や識者と言われるひとたちの言い分がこれだ。
戦争ばかりし続けている国、アメリカに言われたくない気持はわかるが。



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