戦後80年。
信越放送のドキュメンタリーと、内田也哉子と青木理の対談を見る。
拉致問題をきっかけに「北朝鮮たたき」は右派の唯一のよりどころだが、今日見たドキュメンタリーはまだ拉致問題が表面化する以前の「北朝鮮帰国事業」だった。19歳になっていた冨士原さんは結婚していたこともあって、帰国を迷い帰国列車から直前に飛び降り北朝鮮には渡らなかった。家族と行動を共にしなかった悔いと、北朝鮮の現実を知るにつれて渡らなくてよかったというせめぎあい。しかし手紙等で連絡を取り合い、日本から生活用品などを送り続けた。母は朝鮮人の夫と行動を共にしたわけだが、50代で持病の悪化で亡くなった。日本にとどまっていればもっといい医療を受けさせてやれたという悔いが残った。
当時官民あげて「北朝鮮帰国事業」を支援した。政府には敗戦後の問題の一部である植民地を失った国民をどう食べさせていくかという問題の解決に「北朝鮮帰国事業」があった。
吉永小百合の出世作『キューポラのある町』では仲の良かった友人が帰国列車発車の直前に列車から飛び降りるシーンが描かれた。監督の浦山桐郎はこうしたエピソードを知っていてこの映画にとりいれたのだろう。
信越放送のドキュメンタリーと、内田也哉子と青木理の対談を見る。
拉致問題をきっかけに「北朝鮮たたき」は右派の唯一のよりどころだが、今日見たドキュメンタリーはまだ拉致問題が表面化する以前の「北朝鮮帰国事業」だった。19歳になっていた冨士原さんは結婚していたこともあって、帰国を迷い帰国列車から直前に飛び降り北朝鮮には渡らなかった。家族と行動を共にしなかった悔いと、北朝鮮の現実を知るにつれて渡らなくてよかったというせめぎあい。しかし手紙等で連絡を取り合い、日本から生活用品などを送り続けた。母は朝鮮人の夫と行動を共にしたわけだが、50代で持病の悪化で亡くなった。日本にとどまっていればもっといい医療を受けさせてやれたという悔いが残った。
当時官民あげて「北朝鮮帰国事業」を支援した。政府には敗戦後の問題の一部である植民地を失った国民をどう食べさせていくかという問題の解決に「北朝鮮帰国事業」があった。
吉永小百合の出世作『キューポラのある町』では仲の良かった友人が帰国列車発車の直前に列車から飛び降りるシーンが描かれた。監督の浦山桐郎はこうしたエピソードを知っていてこの映画にとりいれたのだろう。
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