木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

無知と差別が引き起こした「関東大震災における虐殺」

2023年09月03日 | Weblog
9月1日は100年前「関東大震災」が起きた日。
メディアはその特集をやった。今年の特徴はこの未曽有の災害に遭遇した時、人々がどう動いたかと言うところに焦点を当てた。
日本は明治で国を開いたわけだが、その時西欧諸国はアフリカやアジアを植民地化し、アジア各国はその収奪に苦しんだ。特に中国(清国)はその恰好の餌食になった。それを見た日本はそうはなるまいと軍国主義化をすすめたのだった。江戸時代は幕府はあるものの各地域の運営はそれぞれの藩にまかされていた。それを一気に「中央集権国家体制」にしたのだ。植民地化されなかったという点ではよかったのだが、幕府のかわりに政治権力をにぎった薩長、特に長州は明治政府を牛耳り、敗戦まで「天皇」を「玉」として権力をほしいままにした。その残滓は今も残っているが、その象徴的存在だった安倍晋三が消えたことで、これからが日本国民にとっての正念場だと思う。
「関東大震災」の時に政府が一番恐れたのは体制がひっくり返されることだった。特に朝鮮を植民地にし、中国大陸にも進出していたから、この天変地異に乗じて朝鮮・中国の反撃を何より恐れたのだ。そこで日本にたくさん来ていた朝鮮人や下級労働者、農民の反撃を恐れ、特に朝鮮人をターゲットにし、彼らを虐殺する事件が起こる。
典型的なのは千葉県の福田村(現在の野田市)。軍隊経験のある在郷軍人を中心に警察に指示された農民達が、たまたま行商でやってきた香川県の被差別部落の人たちを襲った。神社で休んでいた一行が犠牲になり10名ほどが村人によって殺された。聞きなれない香川なまりを朝鮮人と誤認したのだ。
警察は彼らを軽い処分とし、村人たちも沈黙して、長い間世に知られていなかったが、「関東大震災」のこうした事態を研究していた人々によって明らかになりつつある。虐殺されるこれらの人々を描いた絵巻物も公開された。
「あったことはなかったことにはできないのだ」、また「してはいけない」。
世に知られた大杉栄・伊藤野枝・そして大杉の甥が警察に連行され虐殺されたのもこの「関東大震災」の時である。
今でも外国人特に朝鮮・韓国に対するヘイトスピーチはやんでいない。
歴史に対する無知がこれらを誘発し、無関心がこれらの存在を許している。
教育と報道が問われている。
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