原油高騰が止まらない。
この高騰、という事態の中で、単にガソリンの値上がりということにとどまらず、漁業も農業も、あらゆる産業が、「石油に依存」して回っているのだということを再認識させられた。
漁師は、船を動かす燃料の重油が高くなりすぎて、海に出て漁をすることもできない。
農業は、今は夏だが、温室栽培のための燃料から、肥料、家畜のエサまで、すべてが「石油がらみ」だ。
漁師さんたちの心配は、漁に出られないこともそうだが、それと共に進む消費者の「魚離れ」だという。
統計上も魚は食べられなくなってきているという。魚より肉が好まれる時代だ。
魚は、骨があり食べにくいのが敬遠される理由だ。それと刺身や切り身なら、ともかく、1匹まるごと調理するのもやっかいではある。
船場吉兆の「食べ残しの使いまわし」でも、アユの塩焼きなんかが、丸ごと食べられずに、下げてこられる場合が多かったようだ。
案外、「食べにくい」ことが、箸をつけられない理由だったかもしれない。
アユは「姿焼き」の中では、骨もそれ程硬くなく、食べやすいほうではあるけれど。
それに、「アユの塩焼き」、味はだいたいわかってる、というようなことではなかったか。あゆの塩焼きもピンからキリではあろうけれど。
接待で、連れて来られる客が多い所だし、「接待慣れ」した人達にとっては、見た目のぜいたくな会席料理もありがたくもなんともない。
そういえば、吉兆ほどの高級料亭でなくても、ごく普通の温泉旅館の夕食などでも、近頃、「魚の姿焼き」は出なくなったような。きっと残飯が多いのだと思う。
朝食も、切り身の小さな鮭の塩焼きとか、丸ごと食べられる小魚とかに変わっている。
家族に釣り人でもいて、魚を釣って持ち帰ってくれば、それをさばいて、ということもあるかとは思うが、よほど料理好きでないと、今、家庭で主婦が、「魚をさばく」ということはないんじゃないだろうか。
中学の家庭科の調理実習で、「アジのムニエル」を作った覚えがある。
アジの身の表・裏のぜいごをギコギコ、包丁で除き、硬いヒレの部分を切り落とし、内臓を掻き出し、小麦粉をつけて、油で焼いた。
それとイワシの手開き。私のできるのはここぐらいまで。
ガソリンの高騰で、自転車に乗ったり、歩いている人が目につくようになった。
だから、「生活スタイルを見直す」ということでいえば、これはいい機会なのかもしれない。
ただ仕事で、車がどうしても必要な場合、特に福祉関係(高齢者や障害者介護)を考えると、「崩壊」の2文字が浮かんでくる。
もう一つ「生活スタイルの見直し」ということで言うと、私達の周りにある、あまりに過剰な「化学物質」も何とかしなくては。
「化学物質過敏症」という病がある。これは、日常生活の中で、常に化学物質にさらされているうちに、遂に受け入れられる許容量を超えた瞬間から、ほんの微量な「化学物質」にも反応し、頭痛、めまい、吐き気、呼吸困難などの症状に襲われるというもので、こうなると社会生活を送ることが不可能になってしまう。
化学物質にあふれた都市生活を逃れ、農山村に行けばいいかというと、農村では果樹園や水田での農薬散布や除草剤散布が行われており、山でも、松くい虫の被害を食い止めるとして、農薬の空中散布がされている。
もう逃れようがない、という恐ろしい事態だ。
テレビで、室内の匂いを消すための、消臭剤のコマーシャルがしょっちゅう流れる。
こんなものを信じて、せっせと撒き散らせば、化学物質過敏症になってしまう。「やめろ!」と、ただテレビ画面に向かって叫んでいる。
「買ってはいけない」代表格だ。匂いが気になるなら、「窓を開けよ」。
でも窓を開けると、今度は外から化学物質の匂いが飛びこんでくるのか。
私の家の周囲では、果樹園の消毒と、隣家の人が、たまにプラスチック製のものを自宅のドラム缶で焼く匂いがする。だから、窓を閉めなくてはならない。
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