木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

民主化への茨の道、ノ・ムヒョン大統領の死の意味

2014年06月22日 | Weblog

、「韓流が伝える現代韓国」という本を読んでいる。
著者の李泳采(イ・ヨンチェ)氏は1971年生まれ。
韓国で言われる軍事政権下で「民主化運動」をになった「386世代」の少し後輩、その背中を追った世代だ。
朝鮮国は日本からの植民地解放後、南北分断、そして南の韓国は長らく軍事独裁政権によって、人権や自由を制限され、権力の理不尽な弾圧に苦しんできた。
なんとかこうした息苦しい政治や社会の状況を変えたいと人々、特に青年達が立ち上がった。
60年代に生まれ、80年代を大学生として過ごした世代が90年代の民主化をけん引した。
金大中、ノ・ムヒョンと10年に渡って韓国民は民主政権を選択した。
特にノ・ムヒョンは貧しい農家の出身で、かろうじて高校を卒業し。国家試験で弁護士資格を取った。80年の光州事件に遭遇し、その時改めて自分の人生を見直し、裁判官になるという出世の道を捨て、労働者の解雇や低賃金問題を担当する弁護士の道に進む。
90年代半ばに国会議員になるが、その際地域に基盤を置く保守政治に反対して、自分に有利な選挙区を捨てわざわざ不利な地域で選挙に立候補し、当選するまで3回も落選する経験をした気骨の人物だ。落選するたびに人気が上がり、国会議員となり、ついには大統領に選ばれたのである。
国民が高卒のノ・ムヒョンに期待したのは韓国の民主化に残された課題、韓国社会発展の阻害要因としての学歴主義、エリート主義、権威主義をを取り除いてほしいと期待したからだと、イ氏は言う。
ノ・ムヒョンは韓国社会の保守エリート主義を解体しないかぎり社会の民主主義も正義も実現できないと主張した。
朝鮮王朝時代の保守エリート層は日本植民地時代には「親日派」となり、植民地時代が終わると「親米派」に転じ、反共軍事独裁政権を支える勢力となって生き延びたとして「過去清算」の乗り出すが、反共保守勢力の激しい抵抗にあい、弾劾措置を受ける。ここは国民の支持により復帰するが、これ以降こうした保守勢力と妥協せざるを得なくなり、国民の支持を失っていく。
期待が大きかった分、国民の失望は大きく、再び保守勢力に政権を奪われてしまう。
しかし人々は李明博政権によってたちまちこれまでの民主化の成果も奪われてしまった。
日本では、ノ・ムヒョンの自殺は親族にかけられた賄賂疑惑に責任を感じてという風に受け止められているが、韓国の人々はそうは受け止めず、「自分たちが大統領を守ってやれなかった。困難が起きた時、助けることをしなかった。ごめんなさい」というふうに考えたという。
ノ・ムヒョンの親族にかけられた疑惑は過去の大統領の例に比べればわずかなもので、しかも大統領は知らなかったと言っているので証拠不十分で大統領自身は無罪になる可能性の高いものだということだが、ソウル大出身者で殆どが占められているという検察はノ・ムヒョンが利用するという庶民食堂の領収書まで調べ上げるという捜査をしたという。
もしノ・ムヒョンがソウル大出身で、財閥の息子だったらこんな扱いは受けなかっただろうと、人々は思い、ノ・ムヒョン氏の死を「政治的他殺」と考えるのだ。
私はよく韓国ドラマを見ているが、韓国ドラマはいろんなことを考えさせてくれる。
時代劇では両班達が自分たちの既得権を守るために理不尽なルールをそれ以外の人達に押し付け、人々もまるでそれがこの世が始まって以来の掟かのように受け入れるシーンがよく出てくる。
現代劇では検察の尊大さ、それにへつらう警察、ソウル大に入ってそうした連中を見返すみたいな設定もよく登場する。
韓国もいろいろ困難を抱える社会だが、それに果敢に挑む人々の戦いに熱いものを感じる。そこに今の日本との違いを感じる。

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