木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

にせ「CHANGE」

2008年06月22日 | Weblog

映画『相棒』とドラマ『CHANGE』。
テレビ朝日のドラマ『相棒』の映画版がヒットしていて、なかなかのデキというので、私も見に行った。
エンターティメントとして、とてもよくできていた。次から次へと、見ている者を飽きさせない仕掛けにあふれていた。
そしてこの映画の注目点は、映画の中で描かれる犯罪が、社会的動機に基づいているという点だ。
5年前に起こった「イラク人質事件」がモチーフになっているが、映画は別の架空の国を舞台として、そこでNGO活動をしていた青年が現地の武装勢力に拉致され、日本政府が、相手の要求を拒否したために、青年は射殺され、その処刑場面が公開される。
日本国内では、この拉致事件が起きた時、「自己責任だ」という、人質になった青年へのバッシングの嵐が、マスコミ誘導で起こり、だが処刑を境に、それはピタリと止み、誰もがその事件があったことすら忘れ、それどころか事件そのものをなかったことにしようという空気すら生まれる。
そして5年後、その時、「自己責任」論を展開したニュースキャスター、コメンテーター、判事が次々に殺害される。
見ている者は、ああ、あれは多分、あの事件のことね、とか、これはおそらくあの政治家だ、というようなことを想像できるような作りになっている。
この映画は、テレビ朝日開局50年を記念して制作されたものだというが、あの「イラク人質事件」が起きた時、テレビ朝日も時流に逆らわず、「自己責任論」を展開したはずなのに、その反省をこの映画に託したということか。
そして、木村拓也主演の政治ドラマ『CHANGE』は、与党の国会議員だった父と、父の後を継ぐはずだった兄が飛行機事故で一度に亡くなり、小学校教師だったキムタクが、にわかに立候補して当選、その上あろうことか、与党の混乱の中で、「空虚なる中心」として総理になってしまう、いかにもドラマならではの設定。
私など、事の展開は有り得ないこととしても、首相官邸の様子とか、SPの動きとか、政治のテクニックみたいなことがわかって「おもしろいな」と思って見ていたのだが、このドラマの監修をしているのは、あの小泉総理の秘書官だった飯島勲氏だった。そこは見落としていた。
このドラマは、本来なら、4月から始まる予定が5月の半ばから始まった。
現在のテレビ界では、ドラマは3ヶ月単位で完結するシステムになっているので、4月から始まっていれば6月の末には完結ということになるのだが、『CHANGE』は8月の半ばまで放送されるはずだ。
それには企みがあって、与党支配を続けるための政界再編を、いかにもそれが「CHANGE」であるかのように見せるために、このドラマが利用されるだろうという説がある。そしてそれは、サミット後の8月あたりということらしい。
国民は2度飯島氏の小賢しいシナリオにだまされるのだろうか。だまされるにはあまりに無残なこの国の壊れようだと思うが。
この脚本を書いているのは福田靖という人で、やはり木村拓也が型破り検事を演じた『HERO』というドラマや映画の脚本を書いてヒットさせたが、できたら、飯島氏らの意図の裏をかくような効果を生むドラマ展開してほしいが・・・。



宮崎勤死刑囚の刑執行。
鳩山邦夫はハンコを押すだけだが、刑の執行を実際行う刑務官達は、こう次々に執行業務を命ぜられてはやりきれないだろう。
「ニュース23」には、執行後、「死刑支持」のメールが圧倒的に多く寄せられたという。
幼女を次々に殺害し、犯行声明を送りつけ、遺体をこれ見よがしに放置する。しかも、犯行後、謝罪も、反省もしない。これは大阪教育大付属小学校児童殺傷犯の宅間守も同様だ。
これだけ材料がそろえば、人々は安心して「死刑は当然」と公言できるというわけだ。
鳩山法務大臣は、朝日新聞のコラムで「死神」と揶揄され、「正義に基づき、粛々として、執行を命じているのであって、苦悩の上の決断だ」と激怒したというが、確かに誰が執行命令をくだそうが、「死刑」という事実にかわりはないのだが、なぜか、鳩山邦夫という人物が「健康な精神の持ち主」には、私には見えない。
4世代にわたって、国会議員、大臣、といった特権の中に生きてきた一族のその中でも、とりわけ不気味な人物に思える。
宮崎勤といえども、この者による執行命令は無念ではなかったか。



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