木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

宮沢賢治の作品はなぜこうも人々を惹きつけるのか

2022年11月13日 | Weblog
昨日はカルチャーの「宮沢賢治と小川未明」の講座に出かけた。
以前にも書いたと思うがが宮沢賢治と小川未明はほぼ同時期の文学活動を始めたが、賢治は37歳で亡くなり、未明は79歳まで生きた。
賢治は岩手県の花巻、未明は新潟県の高田、現在の上越市の生まれ。
賢治が山と森の作家だとするなら、未明は海、それも日本海の冬の荒海のとどろきを聴いて成長したという気がする。
二人が活動を始めた昭和初期は大正デモクラシーの花が開いた時期でもあった。まだ暗い軍国主義の時代が広がるほんの手前で、自由主義や社会主義を背景にした文化活動が盛んだった。
未明はプロレタリア文学的傾向の作品を書いていた。必ずしも童話というわけではなかった。
賢治のほうは「国柱会」という仏教の布教活動のために上京していたが、「あなたは実際の布教より文章を書く方が向いている」と言われ、そこから作品を書くようになったという。
しかし賢治は妹が結核を発病し床に就いたことから花巻に帰る。危篤の妹のためにあめゆきをお椀に入れて、妹の枕元に持っていってやる「永訣の朝」という詩は私が中学生の時国語の教科書にあった。
8歳年下の弟清六によると、兄は立ち居振る舞い、例えば皆で食卓を囲む時にも実にひっそりとしていて、年が離れていることもあって弟をいじめるようなこともなかったという。
賢治の作品はいまだに多くの人を引き付けている。その理由は?と思うが、こうだということは私にははっきり言えない。
一方未明の方は「赤い蝋燭と人魚」というアンデルセンの「人魚姫」を想起させる作品が知られているが、それ以外は忘れられているような気もする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする