木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

ナザレの大工だったイエス・キリスト

2021年12月18日 | Weblog

朝起きたら一面の雪でした。でもそんなに大雪というほどではありませんでした。
庭の植物の
雪だけ払い落としました。庭仕事はしばらくできません。
ところで私はカルチャーセンターで「聖書の講座」を受けています。
私はクリスチャンではありませんが母がプロテスタントの信者でした。だから比較的キリスト教になじんでいます。聖書も家にあります。
イエスは神の啓示を受けて布教活動する前は大工でした。ナザレの大工です。
要するに民衆の中から生まれてきた「救世主」です。他の宗教でも突然啓示を受けて人々に救いを説くという例がよくあります。
だから宗教を職業としている聖職者からは排斥されるのです。イエスもユダヤ教徒達、特に聖職者達によって迫害されたのです。でも民衆は知っていました。形式主義に陥っていたユダヤ教は人々の心を打ちませんでした。私も旧約聖書を読んだとき細かく決められた宗教的制約に「何これ」と思いましたもの。ラビといわれるユダヤ教の聖職者達は今でも独特のスタイルを保ち、かなりこうした制約に従っているようです。
さて12月は「クリスマス」、つまりイエス・キリストの降誕を祝う月です。馬小屋つまり貧しい家の子として生を受けたイエス。庶民の待望した救い主です。
かつてはクリスチャンでもないのにクリスマス行事だけ祝うなんてと思っていましたが、世界中というか、パレスチナからははるか離れた東洋の日本でクリスマスを祝うなんて天のイエスは静かに微笑みながら喜んでいるのではと思うようになとりました。





















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