木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

若者が詩作を卒業する時。アルチュール・ランボウ

2020年07月28日 | Weblog

長雨が続きます。やっと今日草取りを少ししました。
アジサイの色は褪せ始めて今はむくげが盛んです。
今はテレビを見ているともうみんな政府を擁護する人は一人もいません。しかし安倍一派は居座っています。
安倍を引きずり下ろしたいけど、抗議を忘れた国民はただ一人一人が「安倍、やめろ」と叫ぶのみです。
最近昭惠夫人の不行跡の話題が聞こえてきません。声を掛けても誰も「こんな時だから」と応じないのでしょう。
それこそ自分が袋叩きに遭って仕事にさしつかえます。昭惠に忖度してもいい目はまわってきません。
「桜を見る会」で周囲はもう引いたような・・・。

家にフランスの詩人アルチュール・ランボウの本が何冊かあってそれを読んでいます。
十代のほんの数年文学に夢中になり詩作し、周囲を圧倒したランボウですが、19才でそこから離れ、アフリカに向かいます。
ランボウにとって5才で別れてしまった父へのあこがれが南に向かわせたと解説する本もあります。
母とはあまりに資質が違ったランボウ。母は詩を理解するような女性ではなかった。
荒くれ男達を相手に彼等を指図する現場監督として生きたランボウ。それもまたランボウの人生の一面。
青年時代に文学少年・少女であった人も年月と共に生活に明け暮れるようになる。それが大部分の人の人生です。
しかし中年以降「俳句」に向かう人は大勢います。自然への回帰ですね。やがて人生の終幕に向かって自分を見つめるには最適の文学なのでしょう。

コメント
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