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木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

「八ツ場ダム中止」は税金の使い方の転換点

2009年09月24日 | Weblog
「八ツ場ダム」中止をめぐって。
前原国交相はさっそくむずかしい局面に立たされることになった。
国交相という任務がいきなりきつい立場になることは予測されたことだった。「前原、サンドバックになって来い。それに耐えてこの問題を解決に導くことがお前の政治家としての真価を問うことだ」という小沢奥の院のメッセージのように私は感じた。
「八ツ場ダム中止」は民主党の公約の象徴のようなもの。中止は決まっている。「中止反対」を叫んでいる連中の声の大きさに耐えて、住民の生活再建、途中まで作った道路や橋をどのあたりで「軟着陸」させるか、前原大臣、そして馬渕・辻元両副大臣の腕が問われる。
前原大臣がしょっちゅうテレビのニュース番組に登場するので、その顔を見る機会が多くなりつくづく「歌舞伎役者みたいな顔してるのね、この人」と思うこの頃です。
お疲れの際は、時に元気の良い辻元さんに代ってもらうわけにはいかないのでしょうか。
最初に予定した工事費の7割がすでに投入されたが、ダム本体の工事はまだ手がついていない。今ならまだ間に合うのだ。
工事の7割が既に終わったかのように錯覚させる報道がなされているが、既に7割の工事費を使ってしまっているというのが実態。
これから工事を続行すれば、さらに税金をつぎ込まなくてはダムは完成しない。
利水・治水そのどれもがこの50年の間に意義を失ってしまっている。緊急性がない。そのお金は今すぐ必要としているところへまわさなければならないお金だ。
必要な公共事業はたくさんあるのに無駄な公共事業が幅を利かせるのはなぜか。
今やダムや空港の建設・整備はゼネコンとその系列をもうけさせるためにのみ存在している。
「中止反対」を叫ぶ大声はしばらくやまないだろうが、それは言わせておけばいい。
「八ツ場ダム」を中止しても他の地域の人は誰も困らない。むしろあまりごねていると、「国民全体の税金を何だと思ってるんだ」という気持になっていく。
今もうすでに地元長野原町の役場には「中止反対」を叫ぶことへの抗議の電話がいっぱい来て、対応に追われる職員の疲労が始まっているという。
「八ツ場ダム」を始めとするダム建設中止は、「国民の税金を国民一人一人が、健康で文化的な最低限度の生活を営めるために使う」ことへの転換の出発点になる象徴的政策なのだと思う。
コメント (2)
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