日本は幸いにして、高度経済成長時代に進歩した「ものつくりの技術」が、まだ健在で頑張っている企業が多く、輸出競争力を維持できている。
極端な円高になって「貿易収支が赤字になってしまった」時代を除けば、日本の財政は健全と言える。
しかし、将来とも安心できる状態とは言えず、常に次の時代に海外に輸出できる産業を育成していくことが、国策として重要な課題である。
一時期に日本の財政を支えたい家電製品や自動車の生産では、7割以上が海外製造に移転しているので、次世代の産業育成は急務になっている。
その産業育成を、民間企業だけに任せていると、アメリカのようになってしまう。
アメリカのトランプ新大統領が当選するまでは、貿易収支の赤字に無頓着で、野放図に貿易自由化を進めたアメリカの製造業は、壊滅的に衰退している。
特に中産階級を生み出した自動車関連産業では、ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)が、製造業としての研究開発を怠たり、メネーゲームによる収益追求に重点を置いてしまった。
アメリカ全体が、ものつくりの重要性を捨ててしまって、一部の軍需産業以外の製造業は、世界に技術水準から遅れるばかりであった。
これでは、安い人件費での製造しかメリットがなくなり、メキシコやカナダに生産拠点が移転するのは当然の成り行きであった。
ブッシュ政権とオバマ政権と、どちらの時代にも製造業界は、海外生産しか経営が成り立たない状況になって、アメリカの貿易収支は極端に悪化した。
その上に、海外での紛争を引き起こして、軍事費が膨大に膨れるばかりで、これではアメリカの財産が流出する一方になる。
国の財政のバランスをとる責任が、大統領にあるのは言うまでもない。
ところが、「新自由主義経済論者」は、経済活動は民間に任せて、市場経済、取引の任せることが、最も効率の良い経済効果を生み出す、との一点ばりであった。
ついに、金融バブルの大破綻にあい、国の支援策の最重点が「金融業界の救済」に向けて、政府の介入で支えるしか、やりようがなくなった。
次に介入すべき対象は、自動車産業のように、競争力がなくなっている現状を、とにかく紅葉を回復して、活性化しなければ再生は不可能である。
トランプ大統領が、メキシコからの輸入自動車を減らすために、関税をかけてでも、「アメリカ生産の自動車」の価格競争力をあげるのは、苦肉の策である。
関税による「保護貿易」によって、自動車産業に復活の機会を与えて、貿易収支の改善を図ろうとするのは、大統領としての責務を果たす主権の行使である。
自由貿易化の長期的な理念に逆行する、とか、産業政策に政府が介入するのは時代遅れとか、評論家や理想主義者は無責任に言えるが、きれいごとに尽きる。
国が衰退に向かっている時期に、理想論ときれいごとでは無責任すぎるのだ。(続)