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東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

病と闘わない

2019-02-20 | 人生の気づき
10数年前に発症した憩室炎、3年前に発症した痛風。これらの病に巡り合って、色々と気づかされました。私の生活習慣の間違いの気づきです。その意味では、病は天から与えられた貴重な信号です。我々は、事故は別にして、一気に命を失うことはありません。病によって、先ずは生活の間違いに気づかされます。したがって、私の場合、薬に頼ることはしないで、生活習慣の変更を試みます。

憩室炎を患った時は、植物や動物などの命を、食事として戴いているという食事の意味に気付かされました。何しろ、10日以上の絶食を経て御粥を食べましたから、涙を流しながら正座して食べたのを覚えています。それ以来、暴飲暴食は収まりました。そして、痛風を患ってからは、飲酒回数を減らし、野菜食を増やして、ウォーキングも日課になりました。

このように病と仲良く付き合ってますから、病気との付き合い方は、闘う相手ではなく、教えを乞う先生なのです。

気づきとは

2018-11-14 | 人生の気づき
「感じる」とは「刺激や出来事によって、自然に心に生じること」です。一方、「考える」は、「判断や評価の答えを出したいために、答えを意図的に筋道立てて導き出そうとすること」です。

「感じる」は、受身的で自然に生じる『状態』であり、「考える」は目的を持った意図的な『行為』です。例えば、上司から叱責を受けた時、不満という感情を自然に感じます。次に、なぜ叱責を受けたのか「答え」を考えます。両者の関係性は、上記の例のように「感じる」ことから「考える」ことに繋がります。

また、上記例で、上司が自分の成長を思って助言してくれたのだという答えを導き出した結果、前向きな自分の気持ちを感じます。このように、「考える」ことから「感じる」ことに繋がることもあります。

重要なのは、「何を感じるか」の感じ方です。この時、その人の人間性が、「考える」こと以上に左右します。考える道筋による差異よりも、感じ方による差異の方が、答えにたどり着くブレが大きいと思いませんか。しかし、学校教育では、「考える力」を重要視していますが、私は、「感じる力」をもっと大切にすべきだと考えています。

そして、この「感じる力」と「考える力」の総合力が「気づき力」です。

人相を変える

2018-08-17 | 人生の気づき
以前は、美形を見分ける手立てとして顔を見てました。美人かそうでないかといった具合です。でも歳を重ねた最近は、人相を見て、その方の人格を想像しています。私自身も、人格を高めてよい人相を創ろうと努力しています。

例えば、目にしても、「いつも笑っていると上まぶたの部分が丸くなり良い笑顔の印象を与える『月目』と呼ばれる目になります。一方、普段から人を見下したり、値踏みをするような視線をしていると、上まぶたの部分がまっすぐになり、下まぶたの部分が丸くなります」

まだ人格的に劣っている私は、油断していると人相が悪くなります。気を付けないと・・・。

人間の価値

2018-07-14 | 人生の気づき
私の尊敬する人は、次の様な方です。
①したくないけどしなければならないことを、努力して実行している。
②したいけどやってはならないことを、努力して思いとどまっている。

どちらが難しいかと言えば、もちろん後者です。しかし、多くの県民の方が被災された今、前者に取り組む必要があります。ボランティア活動です。

公言する必要はありません。黙って何かに取り組みましょう。

難しきは忍耐

2018-06-06 | 人生の気づき
現代人は耐えることが弱くなりました。即ち、忍耐の実行ですが、忍耐には、実行するという一面と実行しないという両面の意味を持ち合わせています。

前者は、何か目的を立てて何が何でも実行するという意味合いのものであり、後者は、怒りなどを態度に表さないといった、実行しないで耐える意味合いのものです。どちらも難しいのですが、私が難しさを感じるのは、特に後者の方です。

怒りを抑えたりしてはいけないことを抑制するこの忍耐が、難しいのです。

気遣いの配慮

2018-05-27 | 人生の気づき
毎日ウォーキングする私にとって、嫌な出会いベスト3は次の三つです。

①煙草をのむ人には申し訳ないのですが、早朝のウォーキングで、道路で煙草をふかしている人に出逢って、その煙を横切らなければならないのはい嫌ですね。人が歩いてくるのが見えれば、ちょっと場所を移動する気遣いが欲しいです。

②横断歩道を渡ろうとしている私に気づいているはずなのですが、そのままのスピードで通り抜けようとする自動車も無神経です。歩行者優先の気持ちで安全運転して欲しいものです。

③横断歩行者の方でも、自動車が待っていてくれるのを分かっていながら、急いで横断歩道を渡ろうともせず、ゆっくりと歩く無神経さも嫌です。自動車も歩行者もともに相手方を気遣って欲しいです。

ストレス解消は笑いから

2018-05-13 | 人生の気づき
ある和尚さんから、「ストレスは言わば怒りですから、体に良くないことは間違いありません。とにかくストレスをためないで下さいね」と、言われました。確かにその通りですが、問題はストレスの解消法です。

後日、笑いヨガの講師をしている方から、「笑いはストレス解消につながります」と言われました。「作り笑いでもいいから、笑う努力をしなさい」と。それからは、とにかく嫌なことがあると、作り笑いをしています。なるほど、簡単な作業の割に効果があります。

一時一事

2018-04-14 | 人生の気づき
最近は、どこに行っても何をしてても、誰かスマホをいじっている人に出逢います。私の毎日の日課、早朝ウォーキングでも、スマホを見ながらのウォーキングも多いです。「どちらかに集中しては如何ですか」と声をかけたくなるのでが、思いとどまっています。

同時に二つのことをして、どちらもが中途半端になることは時間の無駄遣いとも言えます。例えば、剣道をしてて何か別のことを考えていればスキができ、打ち込まれます。スポーツは言うに及ばず、学問しかり、何事にも通じる話です。

したがって、現代人は、スマホをいじり過ぎることによって、人間力を落としているのでしょうね。残念です。

心の栄養

2018-04-06 | 人生の気づき
食事は一食でも抜くと、ストレスは溜まります。一方、心の栄養分である読書は、何日も何カ月も抜いても、全く問題ないという人が多いのです。困ったものです。何しろ、人間を成長させる原動力になるのが読書ですから、これを怠ると人間としての資質を徐々に確実に落としていきます。

私も、多くの学びを読書から得ました。学校での教え・体験による学び・先輩からの教え、色々と学ぶ場はありますが、格段にスケールの大きいものを学ぶのは読書です。これからも励まねば。

私の幸福論

2018-03-18 | 人生の気づき
幸福ばかりではおごりが生まれ、不幸ばかりでは負のオーラが染み付きます。したがって、幸福と不幸は、ほどほどに両方授かるべきかも知れません。

このように考えると、今の自分の幸福に気づきやすくなります。真の幸福に気づけば、不幸も怖くはありません。

幸福は勝ち取るものではなく、今の自分の状況から、感じ取るものなのでしょうね。以上が、「誰もが幸せになれる」私の幸福論です。

お役立ち度

2018-02-04 | 人生の気づき
長い人生を歩んできて気づくのは、一見関係ない世界、異なる世界と感じる物事の体験ほど、お役立ち度が大きいということです。先日、20年ぶりにお会いした税理士さんも言っておられました。

一時は、劇団四季に入団して脚本家になろうとしたそうです。しかし、希望部署は脚本制作でありながら、役者の応募に強制的に変えられたとか。脚本を書くためには、役者の経験が絶対に必要だからという理由のようです。

しぶしぶ、役者の応募に切り替え、合格して楽しい役者生活を歩んだそうです。でも、ある理由があって方向転換し、税理士の資格を取得しました。そのとき、無駄な役者生活をしたなと感じたらしいですが。なんのその、その役者経験が税理士事務所の繁盛に役立ったのです。

多くの税理士さんは話し下手の方が多いのですが、彼女は劇団四季で役者してましたから、感情豊かに難しい理屈を話せるわけです。とにかく、異次元の世界の体験ほど、そのお役立ち度は大きいということです。

能力は無限

2018-01-22 | 人生の気づき
西部劇につきものの馬。カーボウイ・騎兵隊・インディアンを乗せる馬は、たずな一つで自由に操られています。カーボウイが酒場に入るとき、馬の手綱を柵に一回ししておくと、馬は勝手に逃げることもありません。本来は、力を出せば外れるはずですが、調教によって外れないと思い込んでいます。

サーカスの象も同様です。象をつなぐひもを一回しどこかにつなぐだけで、力のある象が力を出そうとしません。これも調教によって、人間の都合の良いように飼い慣らされています。

調教をして動物たちを都合の良いように飼い慣らす人間たちも、実は、調教されたかのような、固定観念を持っています。自分には大した能力はないという思い込みです。自分の力の限界を、自分で勝手に描いているのです。

価値観を変える力

2018-01-10 | 人生の気づき
私の価値観や人生観は、歳を重ねるとともに大きく変わってきました。果たしてその原動力は何だったかと考えますと、それは「好奇心」ではないかと思うのです。価値観をも変えてしまうような、過去になかった驚きの出逢いに導いてくれるものは、好奇心です。

好奇心がなければ、この本を読んでみよかとか、この人に会って語り明かしたいとか、この旅に参加したいとか思わない訳でして、何かに興味を持つという「好奇心」の存在が大きかったと思われます。もし好奇心がなければ、私は変な人間、ちっぽけな人間のままで終わっていたと思われます。

そして、私のかつては小さな「好奇心」を徐々に高めていったのが、「物事を楽しむ」という欲望の高まりです。かつては何事においても無感動、無関心であった私が、自分から楽しみを作り出すという良い意味での欲望を大切にするようになったことも、大きく貢献しています。

やっと志を

2018-01-08 | 人生の気づき
国を正すために、形など外から改革する力として政治力が必要であり、内側から改革するには人そのものを変えていく教育の力が必要です。その点、私は立志の意が乏しかったのか、若いころ政治家や教師を目指そうとはしませんでした。

私が目指したのは実業家でしたが、いまやっと、政治家と教育者の大きな存在価値に気づきました。ということで、遅ればせながら、教育者としての自覚をもったコンサルタントを目指すこととします。