10数年前に発症した憩室炎、3年前に発症した痛風。これらの病に巡り合って、色々と気づかされました。私の生活習慣の間違いの気づきです。その意味では、病は天から与えられた貴重な信号です。我々は、事故は別にして、一気に命を失うことはありません。病によって、先ずは生活の間違いに気づかされます。したがって、私の場合、薬に頼ることはしないで、生活習慣の変更を試みます。
憩室炎を患った時は、植物や動物などの命を、食事として戴いているという食事の意味に気付かされました。何しろ、10日以上の絶食を経て御粥を食べましたから、涙を流しながら正座して食べたのを覚えています。それ以来、暴飲暴食は収まりました。そして、痛風を患ってからは、飲酒回数を減らし、野菜食を増やして、ウォーキングも日課になりました。
このように病と仲良く付き合ってますから、病気との付き合い方は、闘う相手ではなく、教えを乞う先生なのです。
憩室炎を患った時は、植物や動物などの命を、食事として戴いているという食事の意味に気付かされました。何しろ、10日以上の絶食を経て御粥を食べましたから、涙を流しながら正座して食べたのを覚えています。それ以来、暴飲暴食は収まりました。そして、痛風を患ってからは、飲酒回数を減らし、野菜食を増やして、ウォーキングも日課になりました。
このように病と仲良く付き合ってますから、病気との付き合い方は、闘う相手ではなく、教えを乞う先生なのです。