花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

フランスの旅(4)

2010年04月03日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅢ」フランス・ギリシャ
《エクス・アン・プロバンス》
バスはマルセイユの町を越え、画家セザンヌが誕生し暮らした町、エクス・アン・プロバンスに向った。
防風林には糸杉が多く、椰子、しゅろ、オリーブ、ヒバの木も多かったが、道路沿いの農園には桜の花と見間違う様な花が満開に咲いている木がずらりと植えられていた。聞くとそれはアーモンドの木だった。

途中、石灰岩でできた山々が続いた。ガイドがその1つを指して、「このセントビクトワール山がセザンヌが大好きな山でした。」といった。絵にも描いているそうだ。①
ポール・セザンヌは小説家のエミール・ゾラと親しかったが、ゾラが失敗した画家を主人公に書いた小説がセザンヌ自身だったと知り、仲たがいしたというエピソードを聞いた。

 ①、

エクス・アン・プロバンスの旧市街②で昼食を摂った後、巨大なサン・ソーブル教会を見学した。③

 ② ③

それから樹齢500年を越すプラタナスの並木が美しい古いミラボー通りを散策した。④⑤
町の名のエクスは、ラテン語の水を表す言葉だというが、ミラボー通りでも美しい噴水が迎えてくれた。⑥
2階の喫茶店の窓に面白い飾りを見つけた。⑦

 ④ ⑤ 

 ⑥ ⑦

《アルル》
次にバスでこの町から80km離れたアルルの町へ向った。
アルルは、カエサルが築いた植民都市だが、古代ローマ時代に作られた円形闘技場が保存されている。⑧
ローマの闘技場とは異なり、娯楽として牛を戦わせたが殺すことは無かったという。中世には要塞に使われたり、その後は内部に人の住む家が立ち並び、城壁のようにも使われたという。

またアルルは、画家ゴッホが愛した町でもある。彼はローヌ川の支流に作られた跳ね橋を気に入り、描いている。バスで当時のように復元されている跳ね橋を訪れたが、絵が描かれた看板と跳ね橋がぽつんとあるだけののどかさだった。ゴッホは実際に見える色とは全く違う色を使い、独創的に描いたのではないだろうか。アルルの明るい陽光が、ゴッホに情熱的な色使いをさせたのかも知れない。⑨
町の古代劇場の傍に、左耳を削いだゴッホのレリーフがあった。⑩
町の一角に、ゴッホが好きで描いたという花壇も保存されていた。そこには色とりどりの花が植えられていた。⑪
その傍の土産屋で、私はゴッホの絵の今年のカレンダーを2つ買った。

 ⑧ ⑨

 ⑪
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フランスの旅(3)

2010年04月02日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅢ」フランス・ギリシャ
《カンヌ》
2日目は6時半に起床して、洗面、食事、荷物整理を済ませ、友人とホテルの近所を散策した。
傍に食料品店があり、ホテルで出されたクロワッサンやチョコレートパンなどが、ずらりとショーケースに並べられていた。
隅ではおじさんが、オーブンでチキンの丸焼きを作っていた。「メイ、アイ、テイク、ユアピクチャー?」と聞くと、仕事中の手を止めてニコニコとポーズを取ってくれた。①

  ①

《ニース》
8時にスーツケースをバスに積み込み、昨日飛行機から降りたニースに向った。
晴れた青空の下に見える地中海沿岸の自然と町の景色は、正に南国そのものだった。
年中、最低気温が10度以上だという町の街路樹には背の高い椰子の木が並び、プロムナード・デ・ザングレと呼ばれる砂浜ではすでに遊泳を楽しむ人の姿もあって驚いた。② 海水温は何度くらいなのだろうか。
ふと遥か東、遠方に目を移すと、隣国イタリアとの国境に雪を抱いたアルプス連山が神々しく輝いていた。
海岸に面した目抜き通りには、高級ホテルがずらりと並んでいた。③

  ② ③

私たちはバスから降りて、海岸とニースの市場を散策した。
市場には各種の果物や野菜、オリーブ、ジャム、蜂蜜などが豊かに並べられ、賑わっていた。
春休みなのか、子ども達の姿もあった。
市場の店員さんにカメラを向けると、気さくに応じてくれた。「ボンジュール」などと覚えたてのちょとした会話を交し合うのが楽しかった。
④オリーブの専門店 ⑤山積みの乾燥トマトが売られていた ⑥ポーズをとる花屋のおじさん

  ④ ⑤ 

  ⑥

画家シャガールやマティスが好んだコートダジュールの町に別れを告げて、隣のプロバンスに向った。

 
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フランスの旅(2)

2010年04月01日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅢ」フランス・ギリシャ
《我が家からフランスへ》
30日、フランスから無事に帰国したが、今回はパソコンが不調で、旅の記録が思うようにできないかも知れない事をお断りしておきたい。

出発日の22日早朝、外を見たら、道路に7~8cmの積雪があった。
その状態ではスーツケースが雪に埋まり、引っ張れないので、歩いて数分で行ける距離をタクシーを呼んでJR駅迄行き、新千歳空港で友人と合流。
旅行会社の担当者から成田までのチケットを受け取り、8時10分発のJAL成田行きの飛行機に乗った。

成田では11時20分に南ウイングの○カウンターで添乗員さんに会い、ルフトハンザ航空のミュンヘン行きと、さらにスイスのニースまでの乗り継ぎチケットを受け取った。
ルフトハンザはANAと共同運航しているらしく、ANAカードを出してポイントを入れてもらった。
その後、搭乗の安全検査を受け、13時20分発の機上の人となった。

今回は昼の飛行だったので、離陸後12時間25分、広大なロシア上空を通って地球の回転と逆方向に飛ぶので、何処まで行っても日が暮れず、はるか下の景色をたっぷりと楽しむ事ができた。
ロシアの大地は、まだ雪で閉ざされ、幻想的な雰囲気を漂わせていた。(写真①②)
(かって東西冷戦時代には、日本からヨーロッパに行くには、アラスカのアンカレッジ経由か、南回り経由で行くしかなかった。今ではロシア上空を飛行できるようになり、しかも昼間の明るい時間に飛ぶ事ができるのはとても感慨深いものがある)

 ① ②

ミュンヘン時間17時45分に着陸。ようやく夕闇が降りて来たところだった。
そこから中型の飛行機に乗り換え、20時50分発でフランスのニースに向った。
1時間25分飛んで地中海に面したニースの町の空港に到着した。
スーツケースを受け取ってバスに乗り、ホテルのある隣町カンヌに着いた時には既に23時になっていた。
(カンヌは、毎年カンヌ国際映画祭が開催される町である。若い頃の私はアランドロンが好きだったが、彼はかってこの町でスカウトされたという。彼の人間関係を知る内に、私は次第に嫌いになったのだが)

フランスは日本との時差がマイナス8時間なので、この日は1日が24+8=32時間という長さとなり、やはり疲れた。
家を出てからカンヌのホテルまで20時間弱かかったが、その内、3つの航空機に乗っていた時間は、合わせて16時間を越えた。
ホテルで汗を流し、明日着る衣類と手荷物を整えてからベッドに入った時には、翌日の1時を過ぎていた。

コメント (5)
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