花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

オーストラリアの旅(5)

2009年12月05日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
3日目、朝、ホテルを出たバスは、シドニーの西方100kmのところにある「ブルーマウンティンズ国立公園」まで、約2時間かけて走った。
走行中、道の両側ある街路樹のほとんどがユーカリの木であることを知った。
ユーカリの特徴は、葉が下を向いている事だが、ガイドは、「雨が少ない地域なので、少しでも葉に付いた水分は全部落として、根に吸収させるためです。」と話してくれた。
ユーカリの木は、抗菌成分が含まれていて腐りにくいため、道路脇に立てられている電信柱に使われていた。80年は持つらしい。
また所々に紫色の花が咲いた目立つ木があった。南アフリカにもあるジャカランタの木だった。初めて見たが存在感のある素敵な木だ。

やっと「ブルーマウンティンズ」についた。ここは約8000年前に巨大な大地が隆起した場所だが、その後、徐々に風化されて大地が削られ、幾つかの深い渓谷を作った地域なのだそうだ。

私たちは渓谷の一つ、「ジャミソン渓谷」に降りるため、最高傾斜52度ある世界一急勾配のトロッコ列車「シーニック・レイルウエイ」に乗って急なトンネルを下った。①はトロッコ列車が下りる小さなトンネルの入り口である。

トロッコから降りて、整備された木の遊歩道をガイドに案内されながらユーカリの森を歩いた。
土がない砂岩だらけの大地に、しがみつく様にして根を張っているユーカリの木は、ここだけで90種類もあるというが、原始の森さながらに生い茂り、太陽の光は木漏れ日程度しか届かない亜熱帯雨林の森の風情を見せていた。
ユーカリの殺菌防腐成分のため、土中に細菌がいないため、落ち葉も朽ちた木々もいつまでたっても分解されずに堆積していた。写真の木は、栄養の足りない砂岩の上に、賢く1つの根から数本の幹を生やす種類のユーカリの木である。②

 ①  ②

かって、埋蔵する石炭を掘った坑道跡もあったが、今は廃坑になっていて、石炭を運ぶ人馬の彫像が置いてあった。③
傍で鳴く鶯の声が響き渡った。
しばらく谷底のユーカリの森を歩いたら、ケーブルカー乗り場に着いた。
大きいケーブルカー「シーニック・スカイウエイ」で、それに乗ると瞬く間に深い谷底から抜け出し、最初にトロッコに乗った地点まで登って戻った。④

  ③  ④

次は、バスで「エコポイント」展望台に向った。
そこからは広大な「ジャミソン渓谷」の全望を見る事ができたが、遥か遠くは霞んでいて良く見えなかった。
渓谷は確かにユーカリの木が発する油分を含んだ蒸気によって波長の短い青い色だけが透過し、ブルーマウンテインの名の通りブルー色に霞んで見えるのだ。⑤
また「スリーシスターズ」と呼ばれるシンボルの岩が、展望台傍の眼下に美しく見えた。⑥
展望広場には、炎天下、一緒に写真撮影を希望する観光客からチップを貰う老アボリジニの姿があった。⑦

 ⑤  

 ⑥ ⑦

汗だくになった頃、私たちはエコポイントからバスでまた2時間かけて、シドニーに戻った。
夕食は、シドニー湾をクルーズする船でのディナーだった。色々な国の人がいた。私たちの傍には少人数の日本人ツアーの一団もいた。
海を見ながら、ツアーの仲間たちとしたディナーと交流は楽しかった。

埠頭ではアボリジニの男性が、ユーカリの木で作った長い木管楽器を吹いて、独特の民族音楽を演奏していた。
私にはその音色が、アイヌ民族のムックリが奏でる音色にそっくりに聞こえた。どうやらそこではCDを売っているらしかった。

あるガイドブックに、「1788年1月26日は、イギリスから囚人を乗せた船がシドニーに着いたオーストラリア建国の日だが、同時にその日は、アボリジニが自分達の土地を奪われた日になった」と書かれていた。
私は、彼らはその日から生活権も奪われてしまったのだと思った。




コメント (2)
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