7月30日朝、昨年9月末に植え付け、冬越しをした「ニンニク」の下葉が枯れて来たので収穫した。
隣家との敷地の境界に1列に植えていたのを、スコップで掘り出した。大きな球根に育ったものが37個だった。この場所で「ニンニク」を連作しだしてから、かれこれ7~8年になるだろうか。結構良いものが取れたのは、きっと肥料中のリン酸が、年々土中に溜まっていっているのかも知れない。
ネットに入れて、ベンチの上で乾燥している。この中の良い球根を選んで乾燥させておき、9月末にまた小球にばらしてから植えたい。食用は、昨年収穫して冷凍してあるのがまだ残っているので、自家用は多くいらない。残りは娘や花友さん、そして知人に少しずつ分けて上げたいと思う。そう言えば去年、種球にしても良いものを差し上げた知人は、その一部を庭に植えたのだろうか。聞いてみなければ……
土手の上のバラ「ロビンフッド」と、奥の「青いクレマチス」
話は変わるが、今日、東京のお寺から「母の50回忌」の知らせが届いた。満で言えば、母が亡くなってから49年が経ったわけで、月日の流れは実に早いものだなと感じた。
私に長男が生まれた後、母を引き取り、子供の面倒を見てもらっていたが、母は同居した2年後に体調を崩し、3ヶ月半治療したが悪くなるばかりで、わずか54歳の若さで急逝してしまったのだった。母の無念はどれほどだっただろうと思う。直前まで種を蒔いた畑の事と秋の漬物を漬けることを気にしていた。
当時は3歳未満児を預かる保育所は、住む町にも働く町にも無く、私は急には辞められない仕事をしていたので本当に途方に暮れた。親切な職場の同僚が子供を見かね、「うちの子供と一緒に遊ばせたら良い。」といってくれて、奥様が昼間預かってくれた。困り切っている私に手を差し伸べてくれた同僚とその奥様に、言葉では言い表せない程深く感謝している。
半年後には上司のお陰で、当時は珍しかった「3歳未満児保育所」がある町に転勤できた。下に7歳年が離れた長女が生まれたが、なんとか定年まで働き続ける事ができたのだった。
母のお骨は実家の墓に分骨してあるので、母は両親や伯母や伯父と一緒に眠っている。その日は妹と娘を誘ってお参りに行き、食事ができたらいいなと思うが、コロナが終息してくれるかどうかが気になるところだ。