花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

「コソボ・マケドニア・アルバニア」の旅(7)

2015年03月13日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅠ」ポーランド・コソボ,マケドニア,アルバニア

≪「マケドニア」観光≫②

旅行3日目は、朝から「マケドニア」観光だった。
首都「スコピエ」は、古くから「トルコ」のイスタンブールと「セルビア」のベオグラードを結ぶ交易の中継地として栄え、色々な民族が行き交った歴史を持つため、東方正教会とイスラムのモスクが多くある所だ。

先ずバスは、「コソボ」との国境になっている山を見渡せる丘に行った。その丘には11世紀のオスマン帝国時代の城砦が残っていた。曇っていてはっきりとは見えなかったが、遠くの山の上には、高さが16mあるという大きい十字架が立っていた。
丘の上から「スコピエ」の町を一望した。

そこから下に降りて「ムスターファ・パシャモスク」に行った。このモスクはオスマン朝が支配するようになって間もない1492年に、キリスト教の聖堂を壊して建てられたが、1954年に起こった大地震で破壊され、再建された。靴を脱いで中に入って見ると、簡素なデザインの壁画に飾られたモスクだった。

 



モスクの傍に各国国旗を掲げたスパ兼ホテルがあった。



さらに先に行くと、オスマントルコ時代の18世紀後半に建てられた東方正教会の「聖スパス教会」があった。
イスラム教が支配的だった時代だったので、建築を申請して与えられた土地は狭く悪い土地だったらしい。聖堂は目立たぬように、土地を一部掘り下げて建てたという。珍しい木製の鐘楼が今も残されていた。内部を見たかったが、鍵が掛かっていて見られなかった。



教会の横の狭い坂を下りると「オールドバザール」の地区だった。建物が密集していて中世の雰囲気が残っていた。



 

さらに下って行くと、賑やかな市街地に出た。
まずこの国に生まれ、1931年からインドでカトリック教会の修道女として貧しい人々の救済に力を尽くしたノーベル平和賞の受賞者「マザーテレサ」の生家があった場所に案内された。今は家は無く石碑が建てられ、その横に掲示板が立っていた。

 
少し離れた街中に新しそうな「マザーテレサ記念館」があり、傍に手を合わせて祈っている彼女の銅像が建てられていた。記念館の周りでは子ども達が走り回って遊んでいた。
彼女が帰国したのは4回だったそうだ。亡くなった時、私物はほとんど無かったという。記念館には入らなかった。
私は、昨年2月にインドの「ムンバイ」の幹線道路沿いでバスの窓から見た彼女が働いていたという孤児院を思い出した。

 

コメント (4)
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