花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

「エジプト」旅行(9)

2012年12月31日 | 海外旅行「中近東Ⅱ」エジプト

《ルクソール西岸観光》(2)
「王家の谷」を観光した後、谷を挟んだ東側にある「ハトシェプスト女王葬祭殿」に行った。
「ハトシェプスト女王」は「トトメス一世」の第一王女として生まれ、エジプト初で唯一の女王になり、22年間在席した女性だ。
「夫トトメス二世」と結婚したが、その死後、幼少の「トトメス三世」の摂政になり、その後自ら男装をして王となったという。

この葬祭殿は自ら設計して作らせたというが、自然の地形をうまく利用したテラス様式の美しい葬祭殿は唯一の物である。

(1997年11月17日朝、この神殿で火器と短剣を使ったイスラム原理主義者による「ルクソール事件」が起き、62人もの人が死亡した。日本人は新婚旅行者を含む10名が被害にあった。犯人6人は射殺された。テロの目的は、エジプトの観光収入を減らし、正教分離政策をとっていた当時の政府に打撃を与える事だったと言われている)

 

  

女王は建築、芸術、外国貿易(ソマリアの乳香を求めたりした)に熱心だったが、死後、「トトメス三世」に葬祭殿の一部が破壊された。
エジプトの小学生が先生と旅行に来ていた。先生に聞くと写真を写してもいいと了解してくれた。生徒達は嬉々として収まってくれた。

  

山の中腹に洞穴が幾つも開けてあった。ガイドに聞くと「かってキリスト教信者の隠れ家として使われていた穴倉だ。」と返答された。

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「エジプト」旅行(8)

2012年12月31日 | 海外旅行「中近東Ⅱ」エジプト

《ルクソール西岸観光》(1)
5日目、船が「ルクソール」に停泊すると9;30に下船し、バスに乗り換えて観光に出発した。

先ず向かったのが「メムノンの巨像」だ。
紀元前2040年頃、衰退した古王国時代の後にエジプトは再統一されて中王国時代を迎えた
紀元前1720~1680年頃、アジアからデルタ地帯にやって来た人々が王朝を成立させ、新王国時代が始まる。

この後、巨大建築物が首都「ルクソール」に沢山造られたが、「メムノンの巨像」は「アメンホテプ三世」が建てた物だという。
ネットで調べると、この二体の像はアメンホテプ三世が建てた葬祭殿の入り口に作られた高さ18mのものだが、後の第18王朝のメルエンプタハ王が自分の葬祭殿をたてる石材を得るために破壊したと言われ、今は巨像しかない。
右の写真は巨像の背景である。ここに葬祭殿があったのだろうか。遠くの山は王家の谷の方角に当たる。

  

次に向かったのが「王家の谷」だ。
そこはぐるりと山に囲まれ、北側だけが空いている谷状の地形だった。

  

墓の全てが、紀元前1365年以降の新王朝時代に岩山を掘って造られたものだという。
「ラムセス六世」の墓、「ツタンカーメン」の墓、「貴族」の墓などの中に入ったが、カメラ撮影ができなかったので写真は無い。
入り口から玄室までほとんど真っ直ぐに大きい通路が作られていて、その通路の両側の壁には王の生前の生活や来世の神の姿、王の死後の世界が沢山画かれていた。
死後、魂は蘇ると信じていたので、体をミイラにし、内臓を甕に分けて入れ、死後の世界で生きるために必要な生活用品を置いた。
彩色もそのまま残っている墓も多く、3000年前に描かれたものとは思えないような新鮮な感じを受けた。
紀元前1350年に即位した「ツタンカーメン王の墓」は特に保存状態が良く、玄室の絵は極彩色に彩られていて、当時の王族の宇宙観が画かれていた。

紀元前1150年にはここで労働者がストライキを起こしたらしいが、徐々に新王国は衰退して行った。

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