花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

映画「スラムドッグ・ミリオネア」を観て考えた事

2009年04月22日 | TV・映画・音楽・美術
昨日、雨で庭仕事ができないのと、この映画を観た人の感想を知り、映画館に走った。
インド映画と言えば集団ダンスと歌が一杯だと思っていたが、イギリス人監督が作った映画なので、99%、1人のスラムで育ったインド青年の生き様と彼を巡る人々の姿を通して、インドの下層社会の実情を丁寧に描き出していた。

この映画を観て、私がインドに行った13年程前の事を思い出した。
当時の人口は10億人余り。事前に調べたら、その10%強がホームレスと書かれていた。
行く前の私は、それがどんな状況なのかを想像することができなかったが、実際に行って見て、僅かながら事情が分かった。

首都デリーよりも250万人も人口が多いムンバイで見たのは、交通量が多い幹線道路添いでも、道路淵の建物の塀に結びつけたシートで簡単な屋根を作り、地面には畳にしたら1~2枚の広さにしかならない面積のシートを敷いて、その上で数人の家族が暮らす光景だった。私はまともな生活道具一つ無いシートの上に、乳児や幼児もいるのを見て胸が痛くなった。
こうした路上生活家族は、私達が8日間行った観光地や泊まったホテルの近隣のあちこちで見かけた。
しかし、親がいる子どもはまだマシなのだ。この映画の主人公達は、色々な事情で親も無くしたストリートチルドレンなのだから。

行く先々で私達が乗ったバスが信号などで止まると、小さい子ども達や乳児を抱いた女性の物乞いがバスに駆け寄って来た。ほとんどの物乞いは裸足で、顔や手が垢と泥にまみれていた。
ある観光地で出会った物乞いの少年は、お金を稼がないとご飯を食べさせて貰えないのだと私達に話した。
しかし、もし1人に施しをしたら、直ぐに大勢の物乞いに取り囲まれてしまう事が予想できたので、私たちは毎回、心を鬼にして通り過ぎて来たのだった。
世界遺産になっている観光地の物陰には、ホームレスの人たちの物と思われる汚物と漂う悪臭があった。
(街中でも象、アヒル、七面鳥、豚などが、昼間、放し飼いをされているので、彼らが汚物を処理してくれるのだろうと思った)

この映画では、インドの底辺、スラム街に生きる人達の恐ろしい程の貧困の中で、生命の危機と隣り合わせにいる深刻な実情を描き出していた。
そして最も弱い立場のストリートチルドレンを食い物にする大人達によって、余りにも過酷な生活を余儀なくされながらも、その中で逞しく生きる主人公達の姿に、私は人間の尊厳とどんな境遇でも諦めずに夢に向って生きるなら、必ず希望を見出せるというメッセージを感じた。
半面、主人公である弟を思いながらもお金が全てと考える兄は、最後に弟の恋人を逃がし、ボスに殺された。浴槽でお金に埋もれながら殺されて行った最後の姿は、人間として大切なものは金の他にあるという監督のメッセージを象徴していたと思う。



インドの極端な貧富の差の根源には、紀元前から続くバラモン(僧侶)、クシャトリア(王侯・武士)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(隷属民)、さらにアウトカーストの不可触民という身分差別制度がある。
また、細かく分けられている職業別の身分制度によっても、身分は複雑に固定化されて来たという。
長年にわたって数億人の下層階級の人たちは、農村では広大な土地を所有する僅かな地主の小作人として生活の糧を得て来た。イギリスからの独立後、表向き身分差別は禁止されたと言うが、農村では基本的な社会構造が今も続いているらしい。

あるマハラジャの屋敷を、今はホテルにしたという所に泊まった日があった。
その時私は、広大な庭、贅を尽くした建物と沢山の部屋に、日本の大金持ちとは比べ物にならないインドの富豪の贅沢な生活振りを知った。

今回ネットで調べたら、インドの平均寿命は、日本よりも気候が良いのにも関わらず、男性63.9歳、女性66.9歳(2004年経済白書)だった。
また識字率は、男性75.85%、女性54.16%だと言うから、インドの身分と職業による差別と経済的な遅れは、まだまだ深刻な事がわかる。
また、岩波新書だったと思うが、随分前に読んだ本「アジアの女性たち」によれば、インドでは結婚する時に女性が多額の持参金を持って行くという風習があり、少なかった妻が密かに焼き殺される事件も未だにあるらしい。
これは、結婚が男性の生活手段になっているわけで、貧困の一端と言えるだろう。

経済のグローバル化で、インドも近年、IT産業の発展などを通して大きく発展しつつあると聞く。
しかし一方で歴史的な多くの貧困層の存在が、まだまだインドの経済を下支えしている現状があり、私たちも何処かで影響を受けているのだと思う。

私がインドに旅行した時、この映画の背景になっているアラビア海に面したムンバイ(旧ボンベイ)のホテルに1泊した。
映画で使われた洗濯場は、私が見た所と違うかもしれないが、その時現地ガイドは、「この国では中流階級以上の家庭の主婦は、自分で洗濯や掃除はしません。洗濯は貧しい人達が御用聞きのように家庭を回って汚れ物を集め、決められた洗濯場で洗濯をして家庭に届けます。」と説明してくれたのを思い出す。
映画では、酷い汚水で洗濯し、長く張られたロープや地面に広げて乾かしていたが、実際よりも汚さが強調されていると思った。(あんなに汚ければ、洗濯を依頼する家庭は無くなるだろうから)



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする