花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

マレーシアの旅(7)

2012年01月20日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪クアラ・スランゴールの蛍鑑賞≫
4日目午後2時にホテルを出て船着き場に向かった。ホテルから船着き場までの車で数分間をスーツケースを運んでくれた人に1個3RM(84円)を渡し、また小型フェリーに乗ってマレー半島のルムッ港に戻った。
ルムッ港からバスでマラッカ海峡の海岸線に近い道路を南下して行った。途中、湿地帯も見たが、稲刈りが済んだばかりの田んぼが広がっている地域があった。栽培されているのは多分、細長い形で粘らない「インディカ米」だろうが、不思議な事に日本で刈るより長く、地面から20cmもの茎を残したままだった。① 気温が高いこの国では残渣の分解も早いだろうから、きっとこのまま畑に梳き込んで堆肥にするのだろうと思った。
また油やしの苗を育てている畑も見えた。②(走るバスの窓から撮ったので、ぼけている)



約2時間半後「蛍の里」クアラ・スランゴールに着いた。川沿いのレストランで海鮮料理を食べてから、15分程の距離にあるスランゴール川のボート乗り場に行った。着いた頃、丁度日が暮れた。

券売り場の横に小さい土産物屋が2軒あって、女性陣が早速品定めをしていた。店先に『パシュミアウール100%』と表示してある色とりどりのマフラーが30RM(840円)で下がっていた。私が「表示が正しいなら、インドのパシュクール地方で取れるカシミヤかも知れないね。」と言っていたら、店員が「3枚買えば1枚おまけする。」と言った。すると1枚当たり22.5RM(630円)とさらに安くなるので、何人かの女性が買った。(1人だけ1枚買った人が居たけど)
彼女の夫たちは集まって、「こんな時の女性は目の色が変わるから、黙って見ていた方がいいんだ。」と言っているのを聞き、長い間の経験は人を賢くするなと思った。
翌日、クアラルンプール空港の免税店で、同じマフラーが100RM(2800円)で売られていたのを見つけた人が居て、「蛍の里」でまとめて安く買った事を喜び、「ここでもう1枚買ったの。」と私に報告していた。
本物なら上質なのに確かに安い。私は彼女に「繊維を少し取って燃やして見て、髪の毛を焼く匂いがすれば本物だよ。」と伝えた。私自身は既に売る程マフラーを持っているので、手を出さなかった。

私達はマラリアに感染しないために虫刺され予防のクリームを塗ったり、虫除けスプレーをした。(私は持参した手作りのネットを頭に被って、顔を覆った。また昨年1月にカンボジャに行く前、マラリアと日本脳炎のワクチンを接種していると話したら皆に驚かれた) 

それからボートに10人ずつ分かれて乗り、真っ暗い川面を静かに漕いでもらって進んで行った。
目を見張ると川岸に茂る低木に、小さな点のような光が見えて来た。移動するに連れてその数は増し、1か所に100~200以上もの小さな光が一斉に瞬くのが見えた。あたかも示し合わせたように同時に約0.5秒間隔程で瞬くのだ。オスがそうして協力してメスを誘っているのだ。ボートがさらに隣の木へと移動して次々に私達を案内する。川岸がイルミネーションで飾られているような実に不思議な光景だ。
1つの光が宙に浮かんだ。私が手を伸ばすと光が手に留まった。数秒後にまた飛んで行ってしまった。一瞬の事だったが、感動した。
私が蛍を見たのは初めてで、とても良い思い出になった。(フラッシュは焚けないので、微弱に発光する蛍をカメラに収める事は出来なかった。またこの川岸の木は、「ブルンバン」という名で、蛍は片側の岸のこの木だけにいた)

夜の道をまた1.5時間程、バスは東のクアラルンプール目指して走った。両側に背が高い油やしのプランテーションが続く所は不気味だった。
やっと10時頃、1日目と同じホテルに着いた。最後の夜の部屋は19階だった。

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マレーシアの旅(6)

2012年01月19日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪油やし生産と大理石の採掘≫
キャメロン・ハイランドからバスで2時間程降りると、道路の両側に油やしの林が続いて現れた。
ガイドの説明では、フランスが植民地にしていた時代にアフリカから持って来て栽培が始まったという油やしには、食用のパーム油を採る種類と工業用、バイオ燃料用の油脂を採る種類があるそうだ。しかし木を見ても区別が良く分からなかった。1度苗を植えて育てても20年持つ木は5%しかなく、ほとんどが5年で駄目になるので、また苗を植えるそうだ。
ジェトロの発表をネットで調べたら、マレーシアの2010年上半期の実質GDP成長率は+7.2%だ。(これはすごい!!)
建設業、天然ガス、石油がけん引役となり、パーム油、天然ゴムの生産増加も貢献しているそうだ。そういえばアジア各国で目にしたホームレスは、今回のマレーシアの旅では1人しか見かけなかった。(ガイドの話では、天然ゴムはボルネオ島のマレーシア領で栽培されているらしい)
ガイドは、油やしは土壌から肥料分を大量に奪うので、その後に他の作物を植えても育たないと言っていた。また、油やしの林はネズミが繁殖するので、天敵の蛇を放しているのだという。最近では夜行性でないフクロウも飼われているそうだ。

 

少し行くと、白褐色の山肌がむき出しになった山が幾つも現れた。ここは大理石でできた山で、採掘をしているのだそうだ。世界中に大理石が採れる場所があるが、山を見たのは初めてだった。

 
≪パンコール島のリゾート≫

大理石の町「イポー」で中華料理の昼食を食べてから、さらにバスで南西に1時間半行くと、マラッカ海峡沿いの「ルムッ」に着いた。
そこから小型船に乗り変えて30分程で沖合の小さな島「パンコール島」に着いた。
私たちのホテルは、船着き場からほど近い島の北側にあって、その他のホテルが見当たらない地域だった。
広いロビーは、南国風で屋根だけの開放的な吹き抜けに作られていて、気温は30℃はありそうなのに風が吹き抜けて涼しかった。広いプライベートビーチがあるリゾートホテルなので、1階の部屋はベランダから海辺へ出られるようになっていた。プールやテニスコートがあり、野生の猿と孔雀がいた。
私たちの部屋は大分古い作りの様だったが、レストランの食事は豪勢だった。

  

  

 

翌日、オプションの島めぐりツアーがあったが、私はホテルでゆっくりしたかったので参加せず、海に入ったり散策をして午後2時までのんびりと過ごした。海は遠浅で水温は高かった。ホテルの傍にコンドミニアムも沢山建っていて、外国人らしき長期滞在者が沢山いた。こんな所に居ると、真冬の北海道を忘れてしまいそうだった。

 


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マレーシアの旅(5)

2012年01月18日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪キャメロン・ハイランド≫
市内観光を終えてからバスで高原の「キャメロン・ハイランド」に向かったが、途中、スリムバー駅まで1時間半程、マレー鉄道に乗車した。私たちは清潔な指定席に乗ったが、黄色のユニフォームを着た女性車掌が時々巡回して来た。座席の向きが真ん中から左右に向けて固定されていて、私達は後ろ向きに座る事になり、変な感覚だった。

 

下車後、駅前で待っていたバスに乗り込んで100kmの山道を3時間かけ「キャメロン・ハイランド」を目指して登って行った。
私は途中で寝てしまい、目が覚めたら標高1800mの「キャメロン・ハイランド」に近づいていた。遠くに高い山並みが見え、舗装された道路の一方に深い渓谷があった。
やがて平地だけでなく傾斜地にもビニールハウスを張った温室が沢山見えだした。小さな町を2~3通り抜け、どんどん高地まで登って行った。
すると何と山の中に信じられないような大きなホテルが建っていて、そこが2日目泊まるホテルだった。

  

ここはクアラルンプールからは車で4時間だそうで、イギリス統治時代の1885年にウイリアム・キャメロンに見いだされ、紅茶栽培、高原リゾート地として開発が勧められた所だと言う。現在は高級別荘地として知られ、茶畑、野菜畑、イチゴなどの果樹園の他、薔薇園やゴルフ場も作られている。農産物の大半はクアラルンプールに運び、消費されるという。

夕食はホテルの傍のレストランで「水炊き鍋」を食べた。地元で採れた色々な新鮮な野菜や茸類、魚介類、豆腐や油揚げを1つずつ順番にだし汁で茹で、たれにつけて食べて行った。最後にラーメンを入れて食べたのだが美味しかった。

 

3日目、起きてからカーテンを開けるとキャメロン・ハイランドの風景が見えた。早速部屋のベランダから周囲の写真を撮った。部屋の下にホテルの前に立ち並ぶ高級コンドミニアムが臨めた。朝食は山の上のホテルとは思えない豊富な食材と美味しさだった。

 

  

8時にホテルを出発し、先ず近くの朝市に行った。トーモロコシやさつま芋を茹でて売っていた。さつま芋の揚げたのもあった。苺は酸っぱめらしく、砂糖煮したのも売っていた。冬虫草という虫に似た植物が珍しかった。大きい野菜はクアラルンプールに出荷するのか、朝市で目にしたのは小型のイモ類が多かった。数人が苺畑のマグネット5個を10RM=280円で買った。

   

そこから茶畑に行った。赤道に近い場所なのに高原なので柔らかい茶葉ができ、年間24回も摘めるのだそうだ。私は中にある店でティーパックが25個入っている紅茶を数箱買った。(1箱15.5RM=430円)

 

次いで「国立植物研究所」に行った。入り口の温度計は17℃だった。
苺、トーモロコシ、薔薇、ダリア、ラン、ゼラニュームなどが植えられていた。この高地で生産販売できる植物を研究しているのだろう。

  

 

帰りはバスの右側の席に座って、昨日寝てしまって見なかった渓谷をしっかり見ながら山を下りた。現在でも途中の村々にホテルやコンドミニアムの建設が進められていた。学校や病院もあった。
コンドミニアムは家具や電気製品が付いたアパートで、退職した日本人夫婦も沢山長期滞在しているそうだ。
高物価の大都会に住む退職者夫婦にとっては、雄大な自然に恵まれ、気候が穏やかで、日本よりも物価が1/2~1/3と安いというこの場所で長期間滞在するのも楽しいかも知れない。また西日本の夏の酷暑を避けて、ここに避暑をするのも良いかも知れない。
しかし私自身は今でも似たような自然に囲まれた生活をしているので、こちらが寒い冬にでも行って安価に暮らしながらトレッキングでも楽しめる外国という以外の利点は見当たらなかった。キャメロンハイランドは私にとって、正に「百聞は一見に如かず」の場所だった。

  

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マレーシアの旅(4)

2012年01月17日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪クアラルンプール市内観光≫2日目午前中は、首都クアラルンプールの市内観光だった。
インターネットで自宅で調べた天気予報は、毎日「曇り、雨」だったのに、晴天なので喜んだ。朝の気温は25度位。バスや建物内は皆クーラーが効いているので寒い位だ。

先ず案内されたのは1963年に建てられた「国立博物館」。外観はマレーシアの伝統的な建物になっていた。
開館前に着いたので、外壁に描かれているマレーシアの古代からの歴史図②を概観して説明を受けた。中には多岐に渡る展示があるらしかったが、ガイドは植民地支配の歴史をざっと案内し、独立後、各政権が果たした政策を説明しただけだったので、私はもっと詳しく見たいと思ったが叶わなかった。④はマレー王が謁見時に使った椅子

 ① ② 

 ③ ④

その後、1965年に建てられたと言う「国立回教寺院」に行った。
入り口で靴を脱ぐと、女性は全員、髪を隠すための頭巾「アル・アミラ」かワンピース式「チャドル」を着せられた。⑤ 私は長袖のジャケットを着ていたので、頭巾だけ被せられた。それでも被ると圧迫感を感じ、気分が悪かった。
(コーランには、「女性は髪を隠せ」とは書いていないが、「魅力的な部分を男性に見せてはいけない」と書かれているという。髪や素肌を見た男性が欲情するのを防ぐのだそうだ。私は、年中35℃近い気温の国で女性側だけが蒸し暑さを耐えなければならないこのような規制をされることに大いに疑問を持つのだ)
本殿内には信者しか入れないが、周囲のイタリア製大理石でできた廊下や柱の間は散策できた。幾何学的なイスラム模様が美しかった。

 ⑤

 

 

次にバスは「独立広場(ムルデカ・スクエア)」と「ぺトロナス・ツインタワーズ」が見える場所に行き、バスから降りて写真だけ写した。
「独立広場⑥」は1957年に独立宣言が行われた場所で、南端に高さ100mの国旗掲揚塔があった。毎年ここで独立記念式典が行われていると言う。
広場の奥にイギリス統治時代に作られた「ロイヤル・スランゴール・クラブ」のクラブハウスがあり、現在も王室関係などの宴会が行われているらしい。

 ⑥

「ツインタワーズ」⑦は、高さ452m88階建てのオフィスビルで、片方を韓国のサムスンが、もう片方を日本の間組みと二国の建築会社が請け負い、1998年に完成させたもので、クアラルンプールのシンボルであり、2003年までは世界一の高さを誇っていたタワーだ。
また「クアラルンプールタワー」⑧は通信用のタワーで、421mの高さがあるという。展望台もあり、オプショナルで行けたが、私は健康上の理由(エレベーターで急に高い場所に上がると胸が苦しくなる)から登らなかった。

 ⑦ ⑧

途中、「バティック染色工房」に寄った。
布に描く下絵は熟練職人が全くの手書きで、墨出しを使って画いていたのが凄かった。その後、別の職人が溶かした蝋を染色しない部分に入れていた。

バスから市内を見たが、「旧連邦政府庁舎」は、1894年にイギリス統治時代に政府機関の庁舎として建てられた建物で、全長が137mあり、時計塔の高さも40mもあるという。現在は最高裁判所として使われているという。 

   


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マレーシアの旅(3)

2012年01月16日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪マレーシアという国≫
2日目のスタートは市内観光だったが、その前にまず、マレーシアの全体像を抑えて置く。
ガイドブック『地球の歩き方』によると、マレーシアは地理的にインド洋と南シナ海の間にあるため、古くから海上貿易の重要な中継地として栄え、ペルシャ人、インド人、中国人などの様々な民族が行き交い、文化的な影響を受けて発展して来た。
またそれだけにヨーロッパの列強国などから狙われ、1511年にポルトガルが香料などの交易の独占権を求めてマラッカを占領→1641年にはオランダがポルトガルに勝ち、植民地化→1786年、イギリスがペナン島を割譲されて後、マレー半島とボルネオ島北部を植民地化し、錫の採掘とゴム農園を開発した→1941年12月に日本が真珠湾攻撃に先立ち、コタ・バルに上陸後、マレー半島を南下して、1942年クアラルンプールとシンガポールを占領し、支配した。→第二次大戦終了後、支配権がイギリスに戻された→しかし、民族主義運動が高まり、イギリスより1957年8月31日に独立を果たした。

しかし、農村部で生活して来た貧しいマレー人と、植民地時代に移民した豊かな中国人、インド人との間の経済格差が問題となって、1969年に暴動事件が起きたという。その後、貧困の撲滅、人種間の経済格差縮小を旗印にした政策が推し進められ、多民族国家が互いの生活文化、宗教を尊重する国作りが進められて来た。
現在の人口は2831万人である。『地球の歩き方』2006,2007年版によると、人口構成はマレー人が65.5%、華人25.6%、インド人7.6%と書かれている。

写真①首都クアラルンプール(2010年、人口165.5万人)の郊外のホテル19階の窓から写した中心部 
 ①

②ホテルの裏通りの建物 ③街角の出店で、朝、売られていたチマキ
 ② ③

宗教的には早くよりマレー半島に出入りしていた南インド人がヒンズー教を伝えたが、その後、ペルシャ、アラブ、インドから来たイスラム教徒の影響を受け、15世紀後半にはイスラム化されたらしい。現在はイスラム教が国教である。
イスラム教では飲酒を禁じているので、コンビニではビールはケースの下部に置かれて売られている事が多く、価格は高めだ。(ホテルでは缶ビール350cc15リンギット=420円、グラスワイン1杯20リンギット=560円以上だった)
私たちの中国人現地ガイド氏は、「イスラム教徒は、家が狭いのに妻を4人迄持てる。だから子供が12歳になると学校へやって家から出す。1日5回お祈りをする義務があり、一生酒を飲めないのは問題だ。」と話していた。

④はクアラルンプール市内にある「国立イスラムモスク」 
 ④

 

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マレーシアの旅(2)

2012年01月14日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪大韓航空機を乗り継ぎ、クアラルンプールへ≫11日に無事帰国した。
出発時の状況をいうと、当地は前の日から6日の朝にかけて50cmもの雪がずっと降り続き、何度も除雪をし、朝も4時半に起きて最後の除雪に精を出してから6時過ぎに家を出た。除雪疲れで腕と腰が痛かったが、機内で休めると思って飛行場に向かった。
添乗員が付かないコースなので、クアラルンプール迄、全て自分で判断して行った。
新千歳空港9;00出発予定の大韓航空機は、滑走路の除雪が遅れて40分遅れで離陸した。写真はようやく荷物を積み込む飛行機の様子。

  

3時間15分でソウル仁川空港に到着。ソウルはー2℃と寒かった。(上の写真は、4か国語で書かれている分かりやすい仁川空港の案内標識)
ソウル発16;00の大韓航空機に乗り換えてマレーシア、クアラルンプール空港に向かった。飛行時間は6時間50分だ。機内エコノミー席は割合ゆったりしていて、食事もまあまあ美味しく食べられた。

クアラルンプール到着時刻は21;50。(マレーシアは日本との時差マイナス1時間)
所が新千歳空港で預けた荷物が、なかなか出て来ない。マレーシアは何でも急がない国だと言うので、じっと待った。到着からおよそ1時間後、やっと荷物を受け取り、出口へ。
そこで初めて現地ガイド氏に出会った。中国人で、親は客家の出身、自分はその2代目のマレーシア人だと名乗った。
空港からホテルまで約50分かかり、ホテルに着いたら23;30を過ぎていた。部屋は広く、クーラーが入っていて、室温18℃になっていた。寒いので切って寝た。

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マレーシアの旅(1)

2012年01月04日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

今年もまだ見ぬ国や場所の旅行をしたい。年明け早々だが、H旅行社の札幌支店が企画催行している新千歳空港発着の「マレーシア旅行6日間」に参加する事にした。
前にも書いたが、冬場は雪害で新千歳空港が閉鎖することがあるため、成田空港発着のツアーは不安で申し込めないからだ。(その場合、自己都合で旅行をキャンセルしたとされるそうだ)
新千歳空港からマレーシア行きは出ていないため、今回は、一旦、大韓航空機でソウルに行き、そこでクアラルンプール行きに乗り継ぐのだ。だから行きも帰りも乗り継ぎ時間を入れると長くなるが、今の私には時間だけはたっぷりある。別に急ぐ必要もないので、ゆっくり行きたいと思っている。

1日目の6日は、新千歳空港発9;00→ソウル着12;15、ソウル発16;00→クアラルンプール着21;50の予定。マレーシアの時差はー1時間なので、合わせて飛行時間は10時間にもなる。
2~5日目まで、クアラルンプール、キャメロンハイランド、パンコール島、ルム、マラッカを回る行程になっている。

今回の行程中、私が1番行きたい場所は、高原の町「キャメロンハイランド」だ。
マレーシアはほぼ赤道に近い位置にあって、年中日本の真夏並みの気候なのだが、「キャメロンハイランド」などの高原地域は、標高が1800m程度の場所にあるため、年中春秋の様な爽やかさだという。おまけに物価も安いため、仕事をリタイヤした日本人高齢者に1番人気の場所で、沢山の人達が長期滞在をしている所なのだそうだ。だからどんな所なのかを実際に見て見たいのである。
今回事前勉強をしたら、第二次世界大戦の前、「キャメロンハイランド」に日本人がまとまって移住し、農業を手掛けたというが、戦争状態に入るために引き上げたらしい。しかし、その後を引き継いだマレーシア人が、高原野菜で成功を収めているという。

また、今回はマレーシアの飛び地である「カリマンタン島(ボルネオ島)」には行かないが、その島の北側にある「サンダカン」という町は、「からゆきさん」といわれる明治女性の民衆史を研究して書いた作家、山崎朋子の代表作『サンダカン八番娼館』『サンダカンの墓』の舞台として広く知られている場所でもある。日本が貧しかった時代には、日本の若い女性たちが売られて行った国の1つがマレーシアなのだ。
勿論、第二次大戦中は日本軍の東南アジア侵攻とも縁のある国なので、それなりの覚悟をして行きたいと思っている。
帰国は11日。それまでしばらくブログを休むので宜しく。


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