2023年9月20日に記載した汎血球減少症の63歳男性のその後。
9月15日に急性肺炎で入院したが、血液検査で汎血球減少を認めた。再検しても同様の所見だった。肺炎の治療は、免疫力低下を想定して、セフトリアキソンにレボフロキサシンを併用した。幸い解熱して、肺炎は軽快した。
肝硬変、ビタミンB12欠乏など他の汎血球減少を来す疾患は否定的で、骨髄疾患の問題と判断された。退院日の決まらない入院中から、紹介先の血液内科の予約を取っていた。
9月15日・19日の白血球分画で芽球は認めなかったが、9月22日の検査で芽球1%と出た。有意かどうかわからないが、予約をとっていた医療センター血液内科に連絡してみた。予定通りの予約日(9月26日)の受診で問題ないといわれた。(何をそんなに慌てているのかという感じだった。専門医とすればそんなものなのだろう。こちらが小心者ということ。)
9月23日(土)に自宅退院したが、レボフロキサシンを受診まで内服継続としていた。9月26日無事に血液内科を受診していた(受診報告がFAXで来てほっとした)。
1月31日に医療センターからの報告(診療情報提供書の返事)が来ていた。
診断は急性リンパ性白血病。骨髄検査はdry tapだった。骨髄生検で芽球を認めて、B-ALL(Bリンパ芽球性白血病)と診断された。
寛解導入療法(JSCTプロトコール)が開始されて、寛解となっていったん退院した。11月末には地固め療法(大量メトトレキサート療法)で入院していた。1月にまた地固め療法で入院している。(3回目の入院後に返事を出していないのに気付いた?)
治療内容は難しくてわからないが、まず専門医の治療につなげられてよかった。
研修医の時、20歳代の女性が出血性胃潰瘍(十二指腸潰瘍だったかも)で入院した。それは治ったが、血小板数10万未満が続いていた。特発性(現在は自己免疫性)血小板減少性紫斑病(ITP)を疑って、骨髄検査を行った。思いがけない結果で、急性リンパ性白血病だった。(白血球も3000くらいの低めの値で、貧血は出血だけの問題ではなかった。要は汎血球減少症だった。)
研修病院に血液内科はなかったが、他院からの応援医師が血液内科で、そちらに紹介となった。女性は婚約中だったが、親同士の話合いで婚約は破談になったと聞いた。その後の経過はわからない。
研修医の時から骨髄穿刺をしてきたが、教えてくれた指導医が思い出せなかった。研修病院の指導医ではなく、その応援で来ていた先生が指導してくれたのかもしれない。
(骨髄像が自分では読めず、外注になってしまう。骨髄像だけではなく、特殊検査の提出もあるので、最近は自分ではやらなくなった)