横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

冬の旅5

2011-01-27 07:20:15 | 旅行

鶴岡公園内にある「大宝館」は、大正天皇の即位を記念して建てられた赤い屋根の白い洋館で
もとは1階が物産陳列場や図書館で、2階は会議室と食堂になってたそうだ。

現在は、高山樗牛 丸谷才一、渡部昇一ら明治から昭和にかけての時代に各分野で活躍した鶴岡市出身者、
または鶴岡の発展に深いかかわりのあった人たちのの資料を展示し、その業績を紹介してる。






鶴岡公園から堀を挟んで致道博物館がある。
今回は見学しなかったのだが、近くに荘内藩校・致道館がある。
士風の刷新と優れた人材の育成を目的に、文化2年(1805)酒井家九代目藩主・忠徳公が創設した。
「致道」とは論語の「君子学んで以って其の道を致す」により、
道を究め、はっきりさせるというような意味で大垣藩、土佐藩その他にも同じ名前の藩校があった。






致道博物館がある場所には庄内藩主の御隠殿があったが、
昭和25年に致堂館資料および土地建物が寄付され財団法人致堂博物館として発足した。

この御隠殿は幕末十一代藩主酒井忠発のときに藩主の隠居所として上の赤門とともに江戸屋敷から移築された。
酒井家ゆかりの鎧、兜、調度品の数々をはじめ、庄内竿などが展示されているす。
撮影禁止で写真はないが手作りの庄内竿が興味深かった。4間以上の長いものを含めて多数の延竿が展示されていた。
庄内藩では心身の鍛練と武道の一助として磯釣りを奨励していたという。
城下から庄内浜までは、長い道のりを山越えをして歩いていき、長い釣り竿を持って往復するのは足腰の鍛錬に役立つというわけだ。


「能」を演ずることができるように、きれいな床板が張られた奥座敷から眺める書院造りの庭園も見事なものだった。







このほか旧鶴岡警察署庁舎、旧西田川郡役所、重要有形民族文化財収蔵庫、民具の蔵、旧渋谷家住宅などの建物もある。
この旧鶴岡警察署庁舎は外観のみの見学だが、ほかでは考古学資料も含めて歴史的資料、民族文化財、伝統工芸品などが見られる。






瓦人形は風俗人形、お雛様、おとぎ話の主人公、動物などを粘土で作り泥絵具で彩色した素朴なものだ。






大きな桶の台になっていた車箪笥は金品や帳面など大事なものを収める金庫のように使われたという。
ずっしりした外観はいかにも重そうで、火事の時に持ち出せるように車輪が4個ついていた。

奥に見えているのは馬そり。
「雪の降る町を」は中田喜直氏が昭和27年鶴岡で馬そりの窓から見た降雪風景を曲にしたそうだ。






旧渋谷家住宅は湯殿山の麓、旧朝日村の田麦俣から移築されたもので、山村豪雪地域の多層民家だ。






寄棟屋根であった民家の妻側の屋根を大きく開き、通風と採光を目的とした高窓をとりつけた結果
兜造りといわれる均整のとれた美しい茅葺き住宅は文政5年(1822年)に建てられたものだ。







ここは居間で囲炉裏を中心に家族が集まった。この地域では仏壇の上に神棚が置かれていたそうだ。






毎年1月~3月には囲炉裏(いろり)に火を入れて「いぶり出し作業」が行われる。
煙を充満させて屋根の茅などにひそむ虫を駆除したり防腐のために行うものだが、
見学した日は早目に火を落としていたので残り火だけを見た。

いぶり出し 荘内日報記事







仏壇の裏側は「主人」が寝る部屋だそうだ。
敷布団は「こもじぶとん」という藁でできた布団で、太い木は枕になったという。






精霊馬はお盆のとき先祖の魂が馬や牛に乗って帰ってくるという信仰から、
まこもや藁で形づくった牛、馬を軒先に下げておく慣わしがあった。






ここは水屋(ながし)で、山から湧き出る清水を器でくった水槽に引き入れ流していた。
右の桶は据え風呂、ひだりは物置になっていた。


2階3階にも上がることができて、昔の農具などが置かれていた。




華のない冬の旅を長らく読んでいただいてありがとうございました。