標高135mの臥牛山を中心に広がる村上城は戦国時代に本庄氏によって築城された後、
村上氏と堀氏により近世城郭として完成された。雪の石垣のみが見える。
寛文7年(1667)に落雷によって焼失した3層の天守閣の威容から舞鶴城の別名が生まれたのだろう。
嵩岡家住宅
昔の武家町にある「まいづる公園」は、皇太子殿下・雅子妃殿下のご成婚を記念して造られた公園で、
嵩岡家住宅、岩間家住宅、藤井家住宅という3棟の武家屋敷が移築復元されている。
雅子妃殿下の祖母・静さんの実家である嵩岡家は村上藩主内藤氏の藩士であり、
この住宅は幕末から昭和60年頃まで使用されていたという。
雪の中では武家住宅を見学する人も少なく、3日前に一人が記帳されていた。
そのため以前横浜に住んでいたという管理の人が喜んでいろんな話をしてくださった。
嵩岡氏は幕末に江戸でいわば現地採用された人で、この住宅も急きょ建築された。
そのため100石の武家にしては質素な造りなのだそうだ。
藤井家住宅は江戸時代には重野氏の屋敷であった。
奉行などを務めた250石の中級上位の藩士で昨日の若林家住宅に次ぐ格式を持つ武家屋敷である。
その後、明治30年代に産婦人科医である藤井氏が取得し病院部分などを増築した。
平成7年に村上市に寄付され解体調査ののち平成10年に復元された。
三の丸スポットにある村上歴史文化館の外観は藤井家の擬洋風病院建築物を参考としているという。
村上・岩船地方の近世から昭和にかけての民俗資料などが多数展示されていた。
その隣にある村上市郷土資料館はおしゃぎり会館とも呼ばれている。
おしゃぎりとは毎年7月7日に行われる村上大祭で曳きまわされる山車のことだ。
村上大祭は村上地方の総鎮守である西奈弥(せなみ)羽黒神社の祭りで、寛永の遷宮に際し
お祝いと城下町の繁栄を願って町人たちが大八車に太鼓を載せて引きまわしたことが起源だそうだ。
現在は三基の神輿と19台のおしゃぎり(山車)が旧町人町を練り歩く。
郷土資料館には3基のおしゃぎりが展示されている。
また14騎の荒馬(堆朱を施した木製)がおしゃぎりを先導する。
おしゃぎりは京都の祇園祭を思い出させる。
また江戸時代に京都から寺院建築で来た漆工がその技法を伝えたのが村上堆朱の始まりとされる。
北限の茶の栽培の歴史は江戸初期にさかのぼるが京都・宇治から職人を招いたこともあるという。
3月には町屋の人形さま巡りが行われ、70軒の町屋に飾られた4000体の雛人形を見ることができる。
秋には三面川で伝統的な鮭漁が行われる。
会う人みんなが親切で人懐っこい方たちで、にぎやかな時期にも歩いてみたい街だった。