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箱根登山線の「箱根板橋」で降りて、「松永記念館」へ行ってきた。
松永記念館 HP
松永記念館は「電力王」と呼ばれた実業家の松永安左ヱ門(耳庵)が、
小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために財団法人を創立して自宅の敷地内に建設した施設で、
昭和54年の財団解散後、その敷地と建物が小田原市に寄付され小田原市郷土文化館の分館として公開されている。
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今月いっぱい「上田菊明 Ueda-Kikuaki 足柄刺繍の精華」という企画展が行われている。
大正、昭和にかけて小田原市・足柄地方独特の繍箔(ぬいはく)が一大産業として栄えた時期がある。
布や糸に「ぼかし染め」を施し、綿などの芯肉を高く入れる立体的で大胆な表現を特徴としていた。
戦後、産業としては衰退したが、上田菊明さんが伝承し「足柄刺繍」として数々の素晴らしい作品を発表されている。
足利刺繍 HP
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松永記念館には本館展示室、別館展示室に加えて池の周りに茶室「葉雨庵」「烏薬亭」がある。
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さらに歩を進めると、大きなケヤキの向こうに「老欅荘」(ろうきょそう)が見える。
このケヤキは樹齢400年程度だそうで、幹の低い所で枝分れしているのが珍しい。
ケヤキの前には重さ10トンはあろうかという黒部の石が置かれている。
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上のケヤキに因んで名づけられた「老欅荘」は松永(耳庵)が晩年に住んだところで、
数寄屋建築の特徴があり国登録有形文化財になっている。
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耳庵は当時の有名な茶人・政治家・学者・建築家・画家などを招いて、しばしば茶会を行ったそうだ。
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記念館を出て、かまぼこの鈴廣や入生田の「生命の星・地球博物館」を見学した。
地球の成り立ちから生命、自然まで数多くの展示がされている。
チョウなど昆虫の標本も驚くほどの種類が集められていて引きつけられる。
いずれまたゆっくり行きたい。
箱根方面へお出かけなのですね。
箱根は見るところも多くて楽しいことでしょう。足柄刺繍見せて頂きました。
初めて見ましたが本当に素晴らしい技術ですね。根気と努力と愛情がなければできないものだと思いました。
松永記念館私も一度訪ねたいです。
絵かと思いましたよ・・・これだけぎっしりさすには時間と根気が必要ですねぇ、感動しました。
松永安左ヱ門さんというかたも初めて知りました。電力ガス王だったんですね~
美男子でやり手、さぞかし女性にももてたでしょう。このごろ三菱の岩崎さんが注目されていますが、明治期のこういう実業家の人生も大変興味があります(私のアイドル?は阪急の小林さんなので)
「♪箱根の山は天下のケン」「♪足柄山の山奥で」が口ついてでました・・・
足柄刺繍は 奥様が熱心に鑑賞されたことでしょうね♪
数奇屋建築は 実に簡素で 無駄な装飾もありませんから、地味な感じもします。
その良さを完全に理解は 出来ていませんが、とても懐かしい感じがしますね。
ガラス戸や 入口に続く踏み石など・・・
最近、花の接写から 少し古い洋館などに、興味が
移ってきました。
純和風の建築物の良さも見直したいものです。
箱根の方角に行きましたが、湯元の手前でUターンして熱海へ行きました。
足柄刺繍は写真では素晴らしさの一端しかうかがえません。
ここでは今月いっぱいですが、どこかでお近くで展示されたときには是非ご覧くださいね。
細い絹糸を綿密に刺していき芸術性も高く仕上がっていて素晴らしいです。
必要な糸は糸屋さんに注文し、染めも自ら行うそうです。
後継者が現れるといいのですが・・
政治家もそうですが実業家も明治生まれは芯のしっかりした人が多いですね。
女性を惹きつけることも多かったのでしょう。
そういう山はなく箱根外輪山東側あたりの山々の総称で、
その中の坂田公時が山姥に育てられたとされる山が金時山と呼ばれています。
京都には数寄屋造りの建物も多くて懐かしい思いがしますよね。
洋館は近所にはあまりありませんでしたが、
残されている古いものはやはり魅力がありますね。
今度、横浜に来られることがあったら、山手をご案内します。
耳庵の佇まいがなんともいい雰囲気ですね。
足利刺繍は何と豪華なんでしょう。
そういえば!以前TVで見ていた時代劇の中で「縫箔」という
仕事が出てきたのを思い出しました。どんなものだろうと思いつつ
そのまますっかり忘れていたのですが、こういうものだったのですね。
布地に模様加工をするのが縫箔と呼ばれていて、江戸時代にはその職人さんもたくさんいたのでしょうね。
松永さんの仕事ぶりはNHK・鶴瓶の家族に乾杯でも紹介されたそうで、
今回も鶴瓶さんからのお祝の花が飾られていました。