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熱海の北部あたりは伊豆山と呼ばれる。
駅からその方向へ上がっていくと道端にクサイチゴと思われる花が咲いていた。
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MOA美術館には向かわずにどんどん進むと伊豆山神社についた。
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伊豆山神社は海抜170m。
伊豆山神社は伊豆山大神を祭神とし神仏習合で、伊豆大権現、走湯大権現、伊豆御宮などと呼ばれていたそうだ。
神仏分離令により走湯山般若院が近くに移築された。
源頼朝や実朝が箱根権現とあわせて二所詣をするなど、
鎌倉幕府の信仰が厚く関八州総鎮護とされていた。
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伊豆山神社から海岸までずーっと階段が続いている。800数十段あるらしい。
4月のお祭りのときには、この急階段を神輿が下宮へ下るという。
帰りは上りになるのでかなりきついことだろう。
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階段を下りていくと浜辺に近い所に横穴式源泉の「走り湯」がある。
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現在は工事中で湧出が止められていたが、
その昔は山腹から湧き出た湯が海岸まで飛ぶように走り流れたそうだ。
湯出(ゆづ)から伊豆(いず)になったともいわれる。
平民にも苗字が許された時、その地の地形からつけたものが多いと言いますが
地名は 以前からあったものだと思っていました。
そう言うことを調べると面白いでしょうね!
歴史の授業は いつも江戸時代の終わりの方から時間が足りなくて・・・
だから 源平の時代や戦国時代の辺りが一番面白かったものです。
昔からそうですが、階段は苦手ですが、最近は膝関節の故障で
特に降りるのが苦痛です。
昨日、初めて東西線(市営地下鉄)に乗りましたが
降りても降りても階段で 驚きました・・・
今日↓へさかのぼって拝見しています熱海梅園の梅綺麗ですね。ミソサザイも可愛いです。スノードロップ先日植物園で見ました。福寿草も
咲いていたのですね。春はそこまで来ている感じです。もう節分ですね。
おーちゃんの旅行らしく随分歩かれたのですね。
奥様もご一緒でしたか?
伊豆山神社は源頼朝や実朝が詣でた神社でしたか。
由緒ある神社なのですね。
800数十段の階段をおーちゃんも上り下りされたのですか~@p@!
MOA美術館には何度も行ってますが伊豆山神社まで足を伸ばしたことがありません。
出湯が伊豆とは興味深いですね。
ps.お願い事でメールを入れておきます。
よろしくお願いいたします。
鎌倉、小田原、江戸などはいまいちピンと来ませんでした。
伊豆も歴史的な位置づけはまったく分かりませんでしたね。
年をとると階段がきついですね。
東京でも地下鉄の階段はどんどん深くなっています。
エレベータを利用したほうがよさそうです。
熱海ですから旅行というほどのこともありませんが、泊ったのは初めてです。
暖かい場所なので春を感じさせる花がいろいろありました。
沖縄はもっと暖かだったでしょうね。
妻も一緒にけっこう歩きました。
神社へは熱海からMOAの下を通る道をたどりましたので、
長い長い階段は下りだけでした。
ここを直登するのはかなりきつそうです。
伊豆山神社のことも、今回行くまで詳しいことは知りませんでした。
併設の郷土資料館でいろいろ教えていただきました。
すごい数の階段には驚きました。全部を上りきることを想像しただけで
腿がパンパンに張ったときの感覚がよみがえってきました(笑)
お神輿を担いでの下り上りはきついでしょうね!
鎌倉と伊豆(熱海のあたり)は、それなりに遠いという気がするのですが、
若き日の頼朝や実朝が、鎌倉から馬で参拝に訪れ、この階段も一気に
駆け上っていたのかもしれないなどと想像したら楽しくなりました。
我々は下りだったのでまだしも、海岸から登っていくとなると大変です。
ましてお神輿を担いでとは木が遠くなります。
二所詣とはいうものの実際には合わせて三島神社にも参ったそうですから、
武士たちの行動力は大したものです。
馬に乗った頼朝たちばかりでなく、徒歩の従者たちもいたでしょうね。