日曜日の朝、京都のお寺で父の50回忌と母の27回忌の法要を行い、
久しぶりに会う兄弟縁者たちと供養の昼ごはんを一緒にした。
夕方から時間が空いたので奈良へ行ってみた。
小さい子が鹿にせんべいをやっている姿はほほえましい。
頭を下げてお辞儀をするような仕草をするのもいて面白い。
東大寺南大門に向かう途中のお土産屋さんが立ち並ぶあたりでは、
せんべいをやる人が多すぎるのか目の前にあっても食べないのもいる。
東大寺は金光明四天王護国之寺とも大華厳寺などとも呼ばれる。
この南大門の扁額は重源上人八百年御遠忌法要に合わせて2006年10月に復元された。
阿吽の金剛力士立像は運慶、快慶らにより1203年に開眼した。
奥へ進んで坂道を登ると二月堂に出る。
ものすごく冷え込むので暖かいうどんを食べて6時ごろ外へ出ると、
堂の下にたくさんの人が座り込んでいる。
3月1日から14日まで二月堂では修二会が行われている。
「修二会」は、正しくは「十一面悔過(けか)」といい、
二月堂本尊の十一面観世音菩薩に11人の練行衆(れんぎょうしゅう)が人々に代わって懺悔し、
「天下泰平」「五穀豊穣」「万民快楽(けらく)」を願って祈りを捧げる。
一つの面に一人がつくということだ。
暗くなる前に舞台の上に人の姿があったので、たぶん堂の中で練行を見学できる人もいるのだろう。
前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要だそうだ。
これは二月堂の舞台と下の食堂・参籠宿所をつなぐ登廊。
たくさんの人が舞台とは反対方向を向いて座っている。
これから始まるお松明は舞台のほうを向いて立ってみることになるが、
小さな段々畑のような場所なので座って開始を待つ間はこのようなことになる。
7時。あたりの照明が消され登廊に火が見えた。
火事にならないかと心配になるような火だ。
太く長い竹の先にくくりつけられた杉の葉や薄板などを束ねた松明は舞台へ上がり、
左端でいったん止まって竹を回したりして火の粉を落とす。
火の粉をかぶると1年間無病息災だとか。
それを目的で最前列に陣取る人もいるのだろう。
遠くで見ていたのに肩や頭などに白い灰が降っているのを帰り際に気づいた。
お松明は二月堂に上堂する連行衆の道明かりとして灯されるもので童子が持つらしい。
舞台の左端で止まっていたお松明はしばらくすると、
火の粉を撒きながら右のほうへ走る。
そして右端でしばらく止まっていると左端につぎのお松明が到着し
左右タイミングを合わせて火の粉をふるい落とす。
観客から声援や感嘆の声が上がる。
このようなことが10本行われる。
お松明は14日まで毎日行われるが、
お水取りの12日にはひときわ大きな籠松明が大きな炎を上げるという。
「お水取り」とは3月12日の深夜から13日未明にかけて行われる行事で、
3月2日に若狭の鵜の瀬でお水送りされた水が10日後に若狭井に届くのを汲み上げる。
また14日は10本の松明が同時に欄干に並ぶらしく、きっと壮観だろう。