東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

埼玉県 長瀞周辺を、楽しく日帰りバス旅行(2/3)

2015年02月16日 | 家族関連

 宝山山頂で、日向ぼっこしながら家内と仲良くお弁当を食べました。弁当は観光会社からいただいたものです。山頂は雪が残りまだまだ寒かったのですが、椅子に座って満開の蝋梅を見ながら量も味も美味しくいただくことができました。家内がどこからか味噌汁を購入してきました。お腹が温まる味噌汁でした。

  日差しが強い宝山山頂      美味しかったお弁当        雪が残る山頂
  

 お弁当を食べた後、周りに広がる山々の景色を楽しみました。双眼鏡を持って来なかったことを少し後悔しました。景色を楽しむと、山頂に植えられた蝋梅園を散策しました。最近まで、黄梅と蝋梅を取り違えていました。色が黄色なので、黄梅とばかり思っていたのです。説明文を読むと、蝋でできているように見えることから蝋梅と呼ばれたそうです。黄梅は別にあるそうです。

                  真っ青な空に広がっていた蝋梅の花


 お弁当を楽しく食べたり、周りに広がる山々を指さしながら眺めたりしているうちに、時間が過ぎていました。蝋梅を楽しむ時間はあまり残されていませんでした。足早に蝋梅園を見ながらあちこちを散策しました。昨日の雪のためでしょうか、舗装されていない散策道はじくじくに濡れていました。時々転びそうになりながらロープウェイ乗り場に急ぎました。

       蝋梅園を楽しむ家内             急ぎ足で着いたロープウェイ乗り場
 

 ロープウェイ乗り場を降りると、すぐにバスに乗りました。そして、1時間ばかり揺られました。今度は渓谷の見事なつららを見るとのこと。つららがある場所は、これまた私にとって懐かしい街道でした。
 かつて私は、バイクでこの付近の民俗調査に来たことがありますが、印象深かったことがあります。ダム工事現場近くに住むお年寄りをインタビューした時のことです。それは、「都会のために何故私らが犠牲にならなくちゃいけないんだい!」との言葉でした。筵に座って蕎麦の脱穀をしていた老夫婦は、工事完成までに移転を迫られていたのです。工事中のダムはその後、現滝沢ダムとして完成しました。水不足の埼玉や東京に水を送りつつ、同時に発電もしています。インタビューした時、その老夫婦だけが集落に残って茅葺屋根で暮らしていました。平成8年に移転が完了したとのことですが、私が訪ねた老夫婦はその後どうなったのでしょうか。

      奥武蔵の道端にバスを駐車          バスを降り、渓谷に向かって下る
 

 バスを降りると、谷に向かう道路をどんどん下りました。そして、川が流れる渓谷に降り立ちました。その渓谷の川の反対側の岸壁を見上げると、巨大なつらら群があちこちにぶら下がっていました。つららの芸術と言ったところでしょうか。夜はライトアップするそうです。谷底に降り積もった雪を踏みながら、渓谷沿いに広がるつらら群を楽しみました。

              渓谷沿いにぶら下がる巨大なつららを楽しむ家内

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする