東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 波野市,天神周辺ウォーキングのための調査(1/3)

2014年12月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 来年のウォーキング候補の一つとして、田布施町商店街周辺の史跡などを巡ってみました。商店街周辺の史跡は、史跡と史跡の間隔が近いのが特長です。他の地域では、何百mも歩かないと次の史跡に到着しません。その点、商店街周辺は短い時間で多くの史跡を回ることができます。今回は、商店街の東回りコース(波野市,天神周辺)を調査してみました。一緒に歩いたのは、EさんとWさんです。西回りコース(一本松,上ヶ周辺)は後日調査します。

    町役場正面の江良碧松の歌碑              砂田のお地蔵様
 

 最初に田布施町役場正面の江良碧松の歌碑に行きました。農民歌人らしい詩です。続いて、あいさつ橋から田布施駅方面に20m位行った場所にあるお地蔵様に行きました。昔は道の中心を向いていたのに今は歩道側を向いて安置されています。続いて、田布施郷土館に寄りました。談笑後、ショッピングコートYou・U跡傍にある国森の古塚を訪れました。戦国時代末期、ここに流れ着いた武士が自決した場所との言われがあります。お地蔵様の一つに天保六年(1835年)と刻んでありました。そのすぐ傍に、さらに古いお地蔵様があります。その武士と関係があるのかもしれません。

    立ち寄った田布施町郷土館            You・U跡傍にある国森の古塚
 

 続いて、大内公園に行きました。戦時中に多く若者がここから出征しました。いったい何人が故国の土を踏むことができたのでしょうか。その名残として大きな忠魂の碑が建っています。この忠魂の碑の北側から、山陽本線の線路がよく見下ろせたのですが、今は竹藪が邪魔をして見ることができません。この公園は今、園児や小学低学年生の遠足の場所となっているようです。私も小学生の時、何度か遠足で来たことがあります。

             広い大内公園広場と、そびえるように建てられた忠魂の碑


 大内公園から西にみえる八坂神社を見たりしました。そして、しばらく広場で談笑しながら休憩しました。そして、次に平和番外霊場である伏木観音堂に行きました。比較的綺麗に管理されている観音堂です。この観音様を拝んで帰ろうとすると、不思議なことに、M.Rさんのお母さんがこの観音堂にやって来られました。その奇遇さに驚きました。M.Rさんは私の同級生で、何年か前にアメリカで亡くなりました。そのお母さんに出会ったのです。M.Rさんのお兄さんは今、田布施町議会の議員さんをしています。なお、M.Rさんのお父さんと私の父親は知り合いでした。巨額な選挙資金を扱ってもらうことができるとても信頼できる人だった、と父親からよく聞きました。

  平和番外霊場の伏木観音堂             安置されている観音様
 

 この伏木観音堂は、50年位前に建てたとのことでした。そして今、M.Rさんのお母さんが綺麗に管理しているそうです。私はいろいろな観音堂や大師堂などを調査していますが、この観音堂は一番新しく建てられました。この近くには古くからの平和六十五番霊場と六十六番霊場が既にあります。新たな番号を割り当てることができず、平和番外になったようです。以前から不思議に思っていた「番外」の意味が分かりました。

        M.Rさんのお母さんが丁寧に管理している伏木観音堂の縁側で


 朽ちて廃棄されたお堂がある中で、この観音堂のように新たに建てられたお堂があるのに驚きました。しばらくM.Rのお母さんと談笑しました。帰り際、観音堂に供えられていたお菓子などをいただきました。ありがとうございました。M.Rさんとは高校生の頃、二,三度お話をしたことがありますが、とてもべっぴんさんだったように記憶しています。惜しくも亡くなりましたが、皆の心の中に今でも生きています。

            今回調査した、商店街東回りコース(波野市,天神周辺)

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