東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷 蓮輪の金毘羅社天井板の保存作業

2015年02月26日 | ふるさと

 蓮輪の金毘羅社を初めて訪れた時、半ば壊れかけた高い石階段を登りました。その山の頂上広場にブロック塀作りのお堂のようなものがありました。蓮輪の方にお聞きすると、地元では金比羅さんと呼んでいるそうです。かつては立派な屋根付きの建物があったとか。しかし、台風か何かで倒壊して以降再建されることなく、今のようなブロック塀作りのお堂になったそうです。近くに礎石の跡があります。

        かつてはとても立派な建物だった金毘羅社、今はブロック塀のお堂


 このお堂の床に、かつての建物の天井に飾られていた天井板が束ねて無造作に置かれていました。その天井板は半ば朽ちて、アリなどの虫が巣食っていました。蓮輪の方のご了解のもとに、郷土館に持ち込み保存処置をすることにしました。

  ビニール袋で郷土館へ     束ねた板の紐をほどく     虫に食われて穴だらけ
  

 ビニール袋に入れて郷土館に持ち込み、すぐに防虫処理しました。そして、一週間経った今回、ビニール袋から天井板を出してみました。すると、ヤモリが生きて出てきました。ヤモリを野外に逃がした後、刷毛で板についたゴミ類を取り去りました。ざっと見て、干支の絵が書かれているようです。俳句や漢詩のような文字は書かれていませんが、絵師と思われる名前がどの板にも書かれていました。

                 干支と思われる絵が描かれている天上板、鳥と虎


 汚れを取っていると、なんとか文字が読める板がありました。大正十年三月十七日の日付が書かれた板が一枚だけありました。これでこの金毘羅社の建立か再建のおよその時期が特定できました。この頃、蓮輪では神舞が参加でした。建立か再建時の祝いに、地元の神舞が披露されたかも知れません。当時の蓮輪は勢いがあったのでしょう。

 板から出てきたヤモリ       刷毛で汚れを取る     大正十年三月十七日の日付 
  

 刷毛で汚れを取ると再びビニール袋に入れました。防虫剤,乾燥剤,そして脱酸素剤も入れておきました。今回は17枚の天井板の保存作業をしましたが。50枚位の天井板がまだ残っています。近々、その板も保存処理する予定です。
 保存作業が終わったら、写真を撮るなどして調査します。そして、どんな絵が描かれているか、絵画の作者は何処の誰かなどを調査しようと思います。現存する他の建物(例:浮島神社)の天上板とも比較検討しようと思います。

               今回汚れを取った、蓮輪の金毘羅社天上板17枚

コメント (2)
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