東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 楽しかったJR田布施駅周辺の史跡巡りウォーキング(3/3)

2015年02月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 伏木観音堂でお接待を受けた後、丘を降りて祇園観音堂に行きました。ここは、不思議な場所です。大日如来のお堂があると共に、近くの小さな屋根の下に荒神様のような石が安置されています。さらにその近くに、かつて立派なお堂があった跡もあります。大日如来のお堂はあちこちが傷んでいます。このお堂をお世話する方が亡くなられているとのお話をお聞きしました。

   祇園観音を訪問         長岡商店の古い建物      波野市の祠を訪問
  

 続いて、田布施町商店街の通りに出て、屋根付きのお地蔵様を拝みました。そして、商店街の古い建物を鑑賞しました。100歳のスイマー長岡さんの古いお屋敷傍を通りました。かつて、このお屋敷は筵や縄などの商品を扱っていたようです。近くにある波野市の祠も見学しまた。この祠は、江戸時代に「波野市」と呼ばれる賑やかな市場が開かれていた生き証人です。その市場の名前が、この地域の名前「波野市」として残っています。

  大恩寺の飢民の供養塔     土井の内の薬師堂       堀川の船回し跡
  

 続いて波野市の大恩寺に行き、飢民の碑(供養塔)を見学しました。江戸時代の享保17年(1732)の大飢饉で田布施周辺はたくさんの方々が亡くなりました。この飢饉やその後の天明の飢饉で亡くなった方を弔うため大波野神舞が舞われるようになったとのこと。このころ各地でお地蔵様やお堂が建立されたようです。
 次に、竪ヶ浜と余田への道の分岐点を表す道しるべ石柱を見学し、近くの土井の内の薬師堂をお詣りしました。そして、旧薬師川の右岸堤防跡の道を歩きました。途中、法寺坊の墓地がありました。

                 旧薬師川の右岸堤防跡をのんびりと散策


 法寺坊の墓地を過ぎると、旧薬師川と堀川の合流地点に着きます。ここは、江戸時代に船回しと呼ばれる船溜まりの池がありました。堀川から登って来た船が、ここで舳先を回転させていた場所です。今、船溜まりの池はありません。続いて、灸川に向かって広々とした田んぼの中を旧薬師川の右岸堤防跡の道を歩きました。

  薬師川の立派な石橋     菅原天神社の石碑群        旧型の赤いポスト
  

 旧薬師川が灸川に合流する場所近くに、立派な石橋があります。この石橋は、竪ヶ浜と田布施を結ぶかつての幹線道路に渡されています。石橋を渡ると、岩清水が湧き出る岩場があります。大切にされてきたのでしょう、その岩場には屋根が付いています。旧薬師川を戻ると、次に菅原天神社の境内のいろいろな石碑を見学しました。

             月性の叔母が嫁いだ円立寺、幕末に僧錬隊が駐屯

 菅原天神社を過ぎると、田布施市の恵比寿様の祠を見学しました。この場所で、かつて市場が開かれていました。その市場の生き証人がこの祠です。続いて、円立寺に行きました。幕末の元治元年にお坊さん達が結成した奇兵隊のような僧練隊が一時駐屯していました。火災のため、今の本堂は幕末時の建物ではありません。

  平和霊場六十六番札所のお地蔵様      ハミングロードを通って田布施交流館へ
 

 円立寺の見学を終えると、元来た道を引き返して本町通りを歩きました。そして、フランス食堂向かいの平和霊場六十六番札所のお地蔵様を拝みました。ちなみに、平和霊場六十五番札所は大恩寺で、平和霊場六十四番札所は土井の内の薬師堂です。お地蔵様を拝むと、国森の古塚を訪ねました。
 そして、田布施郷土館に寄ってトイレ休憩をとりました。しばらく休憩した後、砂田交差点から田布施庁舎方面に向かいました。途中砂田のお地蔵様を拝顔し、今回のウォーキングの最後としてハミングロードの童謡・唱歌BGMを聞きながら地域交流館に戻りました。今回参加された方々、お疲れ様でした。

      今回歩いたJR田布施駅周辺史跡巡りウォーキングコース(時計周り)

==========健康ウォーキングクラブ==========

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