東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷詣り順路ウォーキングの下見(2/2)

2015年02月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 戎ヶ下の横断歩道を渡ると、泊団地の公会堂に行きました。この公会堂に来たのは、ウォーキング時にトイレを使わせていただけないかどうかの調査です。調査の結果、事前に泊団地の自治会長さんに届けを出しておかないと使えないようでした。このため、本番のウォーキング時には、この公会堂を使わなくても済むルートを検討しようと思います。
 続いて、浜城の妙躰神社に行きました。この神社の石鳥居には明体神社と記名されていました。どちらが正しいのでしょうか。続いて、近くにある千代稲荷大明神に行きました。かつて、浜城は火事に悩まされていたそうです。この神社を建立したら火事がピタリと止んだとの言い伝えがあります。

    泊団地の公会堂        浜城の妙躰神社        千代稲荷大明神
  

 本番のウォーキングでは、10月に登った城山頂上で絶景を眼下に昼食休憩をとる予定です。今回の下見では、あちこち寄り道し過ぎたため時間が無くなりました。このため、城山に登るのは止めました。代わりに、千代稲荷大明神近くの小道に腰かけて、陽だまりの中で昼食休憩をとりました。

               昼食休憩をとった、浜城の千代稲荷大明神近くの小道


 昼食を済ませると、浜城の集落内を散策しました。そして、亘理南山の石碑を見学しました。亘理南山は、江戸時代後期幕末の漢学者です。その生徒たちが明治時代になってから、先生だった亘理南山を偲んでこの石碑を建てました。すぐ近くにある大日如来のお地蔵様も見学しました。続いて蓮輪に入りました。

     浜城の亘理南山の石碑               米出の上関審判勘場跡
 

 蓮輪公会堂の向かい側にお地蔵様がありました。何年か前に撤去されたとのこと。今は、その跡だけが残っています。続いて米出に向かいました。そして、江戸時代に代官屋敷だった上関審判勘場跡に行きました。今はN家の屋敷になっています。屋敷内を訪問しましたが留守のようでした。上関審判勘場跡近くの田んぼは、一面ガマが覆われていました。ガマの穂が弛んで、風に合わせて穂先が飛んでいました。

               ガマの穂が田んぼ一面を覆う、向こうの山は城山


 次に、蓮輪の高台にある天王社に行きました。広場の周りには、TMKPからいただいてきたと思われる桜の苗木が何本も植えられていました。続いて鳥越に入り、浮島神社分神と柿本大明神の祠に行きました。その昔、浜明神と呼ばれていました。浜明神を出ると法界様のお地蔵様を見ました。そして、今回の下見の最後の訪問地として鳥越のお大師堂に行きました。かつて、このお堂の中にはこつり地蔵が安置されていました。咳を直すお地蔵様として慕われていたお地蔵様でした。今は、周防大島の帯石観音に鳥越地蔵として安置されています。

    蓮輪の天王社        鳥越の浮島神社分神       鳥越のお大師堂跡     
  

 予定では、鳥越バス停でバスに乗って平生に戻る予定でした。しかし、平生まで歩いてみることにしました。最初、寄り道して八海公会堂近くにあるお地蔵様を拝顔しました。そして、江戸から明治にかけてあった渡船場跡を見ました。その後、国道188号線をひたすら平生に向かって歩き続けました。歩きながら、日が長くなったことを感じました。

             今回、麻郷詣り順路を下見ウォーキングしたコース

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