東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

約60年ぶり、田布施町 天神祭りに参加(3/3)

2019年05月22日 | ふるさと

 5月初めの菅原天神祭りの神輿に付いて回りましたが、私が子供の頃とは様変わりしていました。今から50年前は、天神,新町,本町は隙間なく家々が立ち並んでいました。しかし、街並み以外の場所は延々と田んぼが続いていました。そのため、お祭りで練り歩く範囲は限られていました。牛車が動く範囲も狭いものでした。しかし、今は団地が開発されて家々の範囲が広がりました。そのため、神輿が練り歩く範囲も昔に比べて格段に増えたのではないかと思います。

         練り歩いた神輿が最後に到着した菅原天神社


 さて、本町団地を出発した二つの神輿は新町方面に向かって進みました。円立寺の前を通って、いったん本町に入った後に新町に向かいました。その途中に恵比寿の祠があります。いつもは石の扉が閉じていますが、今回はお祭りのため扉が開かれていました。元魚屋さん前を西側にターンして新町に向かいました。私の記憶では、50年前の新町周辺にはまだまだ田んぼが残っていたように思います。

  円立寺前を通過      恵比寿様前を通過     昭和亭近くで休憩
  

 その後フランス食堂前を通って、昭和亭近くで子供神輿は休憩・待機しました。子供達にはアイスクリームなどがふるまわれました。その間、大人神輿はピクロス周辺をあちこち練り歩きました。そして、子供神輿が待機する場所に戻りました。大人神輿と子供神輿は一緒に次の場所に向けて移動しました。

   大恩寺前の道を通過           白壁通りを賑やかに通過
 

 面白いことに、400年前に田布施川(今は薬師川)だった側溝を渡って波野側に出ました。天神,本町,新町は下田布施だと思いますが、波野は祇園側です。私は波野地区は祇園祭が開催される範囲かと思っていたら、天神祭りの神輿は波野も練り歩くのですね。波野地区に入った神輿は大恩寺前を通って天神に戻りました。

  地区の子供会集合     賑やかな出店       演劇かカラオケ大会
  

 天神に戻ると、出発した菅原天神社に神輿は戻りました。50年前の天神祭りでは、菅原天神社周辺は市が立っており数えきれない店が並んでいました。今は静かに数個の出店が並んでいました。それでも賑やかで、私はのどが渇いたためジュースを購入しました。この菅原天神社、50年後はどうなっているでしょうか。今回の記録を、記要か何かに記載しようと思います。このお祭りを準備された方々、お疲れ様でした。

      大人神輿が練り歩いた、天神,本町,新町のコース


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