東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市相ノ浦史跡巡りウォーキングの下見

2024年07月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

 柳井市相ノ浦の史跡巡りウォーキングの下見をしてきました。何年か前に相ノ浦小学校跡地や傍に鎮座する相ノ浦神社や近くにある池ノ浦神社を訪れたことがあります。今回はそれ以外の仏閣,祠,そして庵などを訪れました。ただ梅雨時期なので隅々まで歩くことができませんでした。また、皇座山の登山口まで行くことができませんでした。相ノ浦は交通がとても不便です。バス路線が無いため車で行くしかありません。本番ウォーキング時には柳井に集合して、乗り合わせて行くしかないようです。

            平成年間に建て替えられた宝照庵


 さて、車を相ノ浦小学校跡地横に止めました。その小学校の校庭跡地で工事をしていたため入ることができませんでした。また、相ノ浦神社は以前来たことがあるため今回は行きませんでした。そこで、少し海岸を歩いて地域内を歩くことにしました。皇座山に向かって緩い坂道をのんびり登りました。振り返ると、周防大島が見えました。左端には周防大島大橋が小さく、右端には平郡島がみえました。どの地域もそうですが、田んぼで米作りはやっていないようで、放棄田がたくさんありました。

  放棄された田んぼ     報恩寺で少し休憩   報恩寺から宝照庵に向かう
  

 緩い坂道を登っていくと先に報恩寺の本堂屋根が見えてきました。ややきつくなった坂道を登ると報恩寺に着きました。少しばかり休憩させてもらおうとご住職を探しました。すると、廊下横で投薬中で横になった方がおられました。たぶんご住職だと思われます。挨拶をすると休憩を快諾していたいただきました。ありがとうございました。

 宝照庵の上に安置された七人地蔵      道路に面した祠と御旅所
 

 報恩寺で15分位休憩すると宝照庵に向かいました。地域によっては倒壊寸前の庵が少なくありません。しかし、宝照庵は平成年間に建て替えられたようでまだ新しい趣が残っていました。庵の東側は墓地でした。相ノ浦の方々の安寧に地なのでしょう。宝照庵を出ると、海岸道路の祠や御旅所に行きました。その後は、海を見ながらのんびりと車に戻りました。

         柳井市相ノ浦の史跡巡りウォーキング下見コース

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