東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 柳北方面 史跡巡り下見ウォーキング(1/2)

2021年05月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 来月6月の史跡巡りウォーキングは柳井市の柳北方面を予定しています。今回、訪れる史跡,コース,距離,トイレなどを確認するための下見ウォーキングに行ってきました。スタートしたのは新庄Maxvalueです。朝10:00に集合して、参加者5人を確認後すぐに歩き始めました。最初歩いたコースは4年前に歩いたコースと同じです。フラワーランド近くからコースが変わります。新庄の水越地区の良照寺跡周辺などを歩いた後、柳北小学校方面に向かいました。そして、江戸時代に岩政次郎右衛門が作った水路沿いも歩きました。江戸時代に作られた水路は今だに現役です。今は田植えの時期ですので、水路には水が勢いよく流れていました。ところで、良照寺跡周辺を歩いていると、警官が一人歩いておりパトカーが走っていました。近所の方々も外に出ていました。イノシシが徘徊しており注意するようにとのことでした。

     防陽八十八ヶ所霊場第八十六番札所の良照寺跡に向かう


 最初に行った史跡は、正念寺の裏にある佐藤継信・忠信供養塔です。この兄弟は源義経に従って東北から関西にやってきました。兄弟は源義経に関わり非業の死を遂げています。続いて源義経供養塔に行きました。この付近で平安時代後期に源平合戦があったのでしょう。山向こうの平生町宇佐木でも源平合戦に関わる話が伝わっています。柳井,上関,平生周辺で激しい源平合戦が行われたようです。上関の矢櫃神社傍などに平家塚が伝わっています。

 新庄MaxValueに集合   佐藤継信・忠信供養塔    源義経供養塔
  

 続いて、同じ道筋にある多々野古墳跡に向かいました。この古墳は6世紀後半に築かれたようです。しかし、江戸時代に岩政次郎右衛門による水路建設時に破壊されたとのこと。古墳の形は失われており、かつ天井石もありません。周辺には弥生時代遺跡もあるとのこと。この付近は古代に栄えた地域なのでしょう。

   天井石が無い多々野古墳跡       同じ道沿いの延命地蔵
 

 次に延命地蔵に行きました。このお地蔵様は最近安置されたのではないかと思います。スライドドアがアルミ製ですし、「延命」の言葉は現代風です。ところで、4年前の史跡巡りウォーキングでは六地蔵,荒神社,明神社,人丸様に行きましたが、時間の関係で今回はパスしました。続いて、フラワーランド横の道を歩き、良照寺跡に向かいました。

          柳井市柳北方面の史跡巡り下見コース

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