東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市冠梅園~大峰峠史跡巡りウォーキング(2/3)

2020年04月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 冠天満宮を出ると、千坊山コバルトラインの道路をたんたんと歩き続けました。意外にたくさんの方々が歩いていました。冠梅園の駐車場に車を停めてハイキングする家族連れやカップルなどです。三密にならないと言われる公園を歩いて、ストレス解消をしているのかも知れません。山から降りている方が「今日は人が多いねえ!」との感想。しばらく歩いていると、タイワンフウの林に入りました。剪定もしないのにどの木も枝がみんな落ちて、しかも真っすぐ上を向いています。伐採すればログハウスに使えそうな木ばかりでした。

         萩の平展望台からの室積半島峨眉山の絶景


 なぜ千坊山の地にタイワンフウの木があるのでしょうか。戦前に植林したのでしょうか。フウはカエデの仲間です。我家にも紅葉するアメリカフウの木が二本植えて売ります。田布施町交流館の田布施川沿いにも何本も植えてあります。秋になれば紅葉が見事です。タイワンフウも紅葉するのでしょうか。タイワンフウの林に囲まれた道を歩いていると、去年落葉した葉や実がたくさん落ちていました。

  タイワンフウの林    タイワンフウの道    タイワンフウ落葉と実
  

  タイワンフウの道を過ぎてしばらくすると、お地蔵様がありました。コバルトラインと直行するように未舗装の道があります。その道の交点にお地蔵様が安置されているのです。その未舗装の道は、その昔島田と室積を結ぶ古道ではないかと思われます。お地蔵様を過ぎて少し歩くと、ユネスコ協会の碑が立っていました。戦争の悲惨さを訴える碑です。

   古道に安置されたお地蔵様       ユネスコ協会の碑
 

 光市には戦時中に軍事工廠がありました。戦争末期にはたくさんのB-29が飛来してこの地を爆撃しました。そのため、働いていた数多くの女学生が亡くなりました。婆様も当時ここで働くことを希望したそうですが、なぜか小学校の教諭になることを勧められました。そのため、運よく生き残ることができたとのこと。同級生(今の柳井高校)がたくさん亡くなったそうです。生きるも死ぬも、運しだいだったのですね。

  千防台団地方面     満開のツツジ      木の間の室積半島
  

 ユネスコ協会の碑からしばらく道を登ると、萩の平展望台に着きました。ここでしばらく休みました。下見の時のように、室積半島が眼下に見え、九州の姫島や国東半島がよく見えました。休んでいると、次々と車がやってきました。また、歩いている人もやってきました。そして、絶景を堪能していました。萩の平展望台での休憩が終わると、今回は楽々コースを歩いて千防山下に向かいました。その後、野鳥の森に行き、室積半島を見下ろす東屋で昼食休憩を取りました。

    冠天満宮から歩いた千防山コバルトラインウォーキング

コメント
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