東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

周南市 三丘ヶ岳・小松原周辺ウォーキングルートの調査(1/3)

2018年03月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 4月の史跡巡りウォーキングは周南市を考えています。当初、三丘方面は光市とばかり思っていたら、実は徳修館付近から北は周南市と知りました。初めての周南市ウォーキングです。午後から仕事でしたので、午前中に調査してきました。さて、最初に起点となる徳修館に行きました。不思議な館名だと思っていたら、幕末にこの三丘地域を治めていた宍戸家が藩士を教育するために1809年に創建した学校名が由来でした。

            三丘地域を治めていた宍戸家創建の徳修館


 この徳修館内にはいろいろな史跡がたくさんあります。まずは、三丘地域を治めていた宍戸家(宍戸親元)の立派な顕彰碑がありました。また、高速道路の工事中に発見された古墳が徳修館傍に移築されていました。移築を物語るように石室を構成する石に番号が振られていました。古墳を元通りに再現するための番号のようです。この番号を見て、熊本城の壊れた石垣にも番号がふられていたことを思い出しました。

  公民館(修館)      宍戸親元の顕彰碑      移築した古墳
  

 古墳の内部を見学した後、徳修館を見ました。そして、その前の広場に出ました。かつて、この館で学んだ藩士はこの広場でも訓練したに違いありません。田布施町の成器堂は壊れてしまい今はもうありません。成器堂や富永有隣が晩年を過ごした館が残されていればなあと思います。一度倒壊してしまった建物は取り戻しがききません。田布施町に住む私としては徳修館を羨ましく思います。

    番号がふられた古墳内の石           三光寺の門
 

 さて、徳修館にいつまでもいる訳には行きません。ウォーキングコースを考えるため三丘ヶ岳周辺を一周することにしました。徳修館から北に回り込むように進むと、三光寺がありました。その入口には三丘ヶ岳夫婦岩入口の案内板が立っていました。三丘ヶ岳の一番の名所は夫婦岩です。この岩は麓から目立ちます。下見と本番ウォーキングではこの三光寺から夫婦岩に向かって登ろうと思います。

              屋根が明るい真言宗三光寺


 ざっと三光寺内を回りました。夫婦岩への登り口にしぶきをあげる滝がありました。また、たくさんのお地蔵様や寄進された灯篭などがありました。人が通ると、突然に般若心経でしようか流れてきてびっくりしました。登りですが、夫婦岩までそう遠くないようです。次に三丘ヶ岳をぐるりと北に回り込んで、岩徳線をいったん跨いで岩国市に入り再び周南市に戻るように島田川沿いに下りました。そして毛利元就公歯廟に向かいました。

           ウォーキングルートを決めるための調査
 

コメント
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