東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

周南市 三丘ヶ岳・小松原周辺ウォーキングルートの調査(2/3)

2018年03月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 三光寺を過ぎて、しばらく行くと小さなトンネルがありました。岩徳線の下をくぐるトンネルです。その後岩徳線と並行した道を通っていると、今度は岩徳線の踏切に出ました。左右を確認して線路を渡りました。その昔、自転車が線路に挟まってえらい目をみたことがあります。線路を過ぎて山の中をずっと行くと、突然明るい四差路に出ました。ここからは、島田川の下流に沿う道を行きました。

        島田川に架かる橋から上流を振り返る、高速道路が見える


 島田川沿いに行くと、高速道路の下を通りました。そして、最初に見えた橋を右岸側に渡りました。橋を渡った場所に毛利元就公歯廟の案内板を建っていました。迷わず、毛利元就公歯廟に向かいました。廟を見終わると、坂を登って高速道路に向かいました。そして、高速道路に架かる橋から下を見下ろしました。車がビュンビュン走っていました。

  渡った岩徳線の踏切    毛利元就公歯廟      高速道路を見下ろして
  

 しばらく高速道路に沿って走ると、高速道路下を通るトンネルが見えてきました。そのトンネルを通ると、宍戸家菩提寺の貞昌寺が目の前にありました。ここには三丘地方を収めた宍戸家5代以降の墓所があります。宍戸家初代から4代までの墓所は毛利元就公歯廟近くにあります。なお、宍戸家は常陸国(茨城県)が発祥とのこと。ちなみに毛利家の発祥は相模国(神奈川県)です。

     宍戸家菩提寺の貞昌寺        三丘ヶ岳登山口の六地蔵        
 

 貞昌寺の宍戸家墓所は元々は大内家の城だったそうです。そのため、三丘ヶ岳は城山と呼ばれているようです。付近の石垣は大内家からの石垣を流用したとのこと。貞昌寺を過ぎて、再び高速道路沿いに進むと高速道路の下を抜けるトンネルがありました。そのトンネルをくぐっていくと、三丘ヶ岳への登山口がありました。下見と本番ウォーキングでは、三光寺から登って夫婦岩を通り貞昌寺側の登山口に下ることしました。

          ウォーキングルートを決めるための調査

コメント
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