東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

楽しかった田布施町麻郷東方面ウォーキング(2/3)

2018年03月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 続いて、旭から高塔に抜ける丘の道を超えて高塔公会堂に行きました。途中、この道周辺に古来から焼場や墓地があったことを説明しました。昭和19年頃、この地域の住民、建物、焼場、お地蔵様などいっさいが撤去されました。そして、無人になったこの地に陸軍太刀洗飛行場の軍事物資貯蔵施設が作られました。いわゆる集積所です。

        今回の史跡巡りウォーキングに参加された方々


 この集積所、ゲートが三ヶ所ありました。旭側に憲兵が常駐するゲート、高塔側と鳥越側に門管のゲートがありました。集積所内には30軒ばかりの軍事物資を貯蔵する小屋状の建物がありました。私が日々使ってる農作業小屋は、その小屋を手直したものです。貯蔵されたものは、セメント、ガソリン、アルコールなどです。戦争が終わると、憲兵など管理する人がいなくなりました。そのため、いつしか持ち出されては闇に流されたそうです。アルコールは闇で飲料に使われたそうですが、メチルアルコールだったため大量に飲んだ人は失明したそうです。

 お昼休憩した高塔公会堂    国木田独歩の碑      牛頭天王社に向かう
  

 高塔に入ると、高塔公会堂でお昼とトイレ休憩にしました。30分ばかり休憩すると、次の史跡である国木田独歩吉見家仮寓跡に向かいました。吉見家は室町時代頃から続く名家です。戦国時代後期には毛利家家臣として仕えました。江戸時代に入ると、岩国の吉川家から養子を迎え、その養子が平生町の大野毛利家の始祖になりました。今の平生町の始まりは、田布施町麻郷高塔の吉見家と言っても過言ではありません。

     八海の天満宮に向かう        建物が整理された八海天満
 

 国木田独歩吉見家仮寓跡の石碑を見学し終わると、高塔の祇園牛頭天王社に向かいました。小高い丘の上にある石鳥居をくぐって10m位歩くと、その祠があります。その丘の周りには、小学新1年生が植えた椿の記念樹がたくさん植えてあります。続いて八海地区の天満宮に行きました。驚いたことに天満宮の建物が撤去されており、石の祠だけになっていました。八海地区の方々が苦渋の選択をして決めたとのことです。

       今回歩いた田布施町麻郷東部のウォーキングコース

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