東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

茨城県 大洗町とひたちなか市の史跡ほか探訪ウォーキング(2/6)

2017年06月07日 | 歴史探訪他ウォーキング

 2時間位でしょうか、幕末と明治の博物館にいました。この博物館の周りは、こんもりした松林になっておりテントがあちこちに張ってありました。博物館を出た所に小屋のような建物がありました。お店かと思って入ると、テントの管理事務所でした。この周辺はキャンプ場のようでした。土曜日のためか何張りかテントがあり、何家族かが林の中でゲームを楽しんでいました。

   水戸学の大家田東湖の銅像        大洗海岸の岩場に立つ灯台
 

 キャンプ場を出た所に藤田東湖の銅像がありました。彼は水戸学の大家で、徳川斉昭を補佐する立場でもありました。彼の書いた書物や思想は幕末の志士達に影響を与えました。安政の大地震で惜しくも亡くなりました。もし生きていたら、桜田門外の変以降の水戸藩の分裂にどう関わっていたでしょうか。藤田東湖の子である藤田小四郎が天狗党創設に関わっていたそうですので、存命だったとしたら無傷では済まなかったと思います。水戸藩の醜い内部抗争を見る前に亡くなったことはむしろ幸いだったかも知れません。

  道路を跨ぐ大洗磯前神社大鳥居       大洗磯前神社への登り坂
 

 藤田東湖の銅像を見た後、大洗海岸に向かって歩きました。海岸に向かう下り坂をどんどん進むと街が見え、その向こう側に海岸が見えました。いったん海岸に出て、小さな灯台を見て、次に大洗磯前神社に向かいました。大洗磯前神社は高台にあるため、津波警報時の避難先に指定されています。海岸からその高台に向かう上り坂を登りました。15分位でしょうか、登っていると神社関連の施設が見えてきました。

            大洗磯前神社に奉納された錨や鎖


 神社に近づくと、ある奉納物に目が止まりました。奉納されたものは錆びたたくさんの錨や鎖などです。相当長く使った錨のようです。船を解体した時に奉納したのかも知れません。その錨の間にクジラにモリを打ち込む砲台のようなものが一台奉納されていました。大洗町はかつてクジラ漁をしていたようです。そのモリの矢じりの先端は開くようになっており、一度このモリが刺さると、クジラは逃れられなかったと思います。

              大洗磯前神社の随神門


 大洗磯前神社の随神門を入ると、正面に立派な拝殿がありました。ちょうど拝殿前を整備中のための工事車両が出入りしていました。随神門の隣りでお守りなどを売っていました。息子が最近新車を購入したので、その車用に交通安全のお守りを購入しました。このお守り、後で息子に渡しました。神仏をあまり信じない息子にしては、このお守りを素直に受け取ってくれました。大切な人を載せるようで、大人になったのでしょう。

 大洗磯前神社の拝殿      お守りを購入     鳥居正面の海に初日の出
  

コメント
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