東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

水戸市 水戸東照宮と千波湖を史跡巡りウォーキング

2017年06月03日 | 歴史探訪他ウォーキング

 26日、息子が住む茨城県水戸市に行きました。2月にも行きましたので、3ヶ月ぶりの水戸市です。まずは、上野駅から特急に乗ったのですが、上野駅の次に停車する駅は、なんと目的地の水戸駅でした。2月の時は、確か土浦駅などに止まりました。特急の種類によって止まる駅が違うようです。1時間ちょっとで、いきなり水戸駅に着いてしまいました。

上野駅を出ると次は水戸駅  水戸東照宮の巨大な鳥居   水戸東照宮への階段
  

 水戸駅に着くと、市内をあちこち散策することにしました。弘道館とは反対側を少し歩いてみました。すると、駅近くに巨大な赤い鳥居が目に入りました。水戸東照宮と呼ばれる神社が高台にあるようです。さっそく散策することにしました。高台に向かう石階段を登りきると、立派なお社が見えてきました。

    水戸東照宮の社務所        幕末期、日本で初めて作られた戦車
 

 この水戸東照宮は、1621年に初代水戸藩主が父である徳川家康を祀った神社とのことです。建物は戦災で焼失し、今は再建された建物とのことです。私が最初に注目したのは、この神社境内に収められている戦車(安神車)です。この戦車は写真で見たことがあり、まさか水戸東照宮にあるとは思ってもみませんでした。この戦車は、幕末期に水戸藩が作ったもので牛か馬で引く乗り物です。周りを鉄板で覆っており、銃兵が中に立てこもって戦います。しかし、実戦で用いる機会は来ませんでした。

    水戸東照宮      常陸山の記念石碑       天満宮
  

 戦車を見終わると、その近くの建物や石碑を見学しました。目を引いたのは明治期の大相撲横綱の常陸山の石碑です。今、大相撲で活躍している茨城県出身の稀勢の里が、6月に水戸市にある常陸山像の前で土俵入りをするそうです。資料によると、常盤山が横綱になった頃はまだ大相撲は単なる興行だったそうです。興行だった大相撲を国技にまで昇格させた一人が常盤山とのことです。大相撲の歴史の一つに、この水戸東照宮で会えて良かったです。

                 野口雨情の詩碑


 茨城県出身で明治期の有名な童謡作家である野口雨情の詩碑がありました。有名な童謡「しゃぼん玉」は雨情が詩を書いたそうです。シャボン玉で遊んでいる子供をたまたま見かけた時、生まれてすぐに夭逝した長女を思い出して書いた詩だそうです。詩の中に読まれている「~生まれてすぐに、こわれて消えた~」は、夭逝した娘を表現しているのかも知れません。命のはかなさを歌ったのでしょうか。


    水戸東照宮内の稲荷大明神      江戸時代、時を知らせていた銅鍾
 

 その他、天満宮や稲荷神社なども見学しました。その中に、とても大きな銅鍾がありました。江戸期にこの鐘を使って藩内に時を知らせていたそうです。銅鍾を使う前には、太鼓で知らせていたとのこと。1667年に太鼓から銅鍾に変わったそうです。現代では、銅鍾は大晦日にお寺で鳴らします。江戸時代、水戸藩では時を知らせるため毎日同時刻に鐘を鳴らしていたのでしょう。広大な水戸藩の平野にこの鐘の音が響いていたのですね。
 水戸東照宮を出ると千波湖に行きました。夕方、どこかの高校の陸上部員達が千波湖を何周もしていました。夕闇の迫る千波湖を一周して、息子のマンションに向かいました。

               夕闇が迫る千波湖

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